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マルハナバチのつぶやき

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マルハナバチのつぶやき
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信州の週末田舎暮らし、植物、昆虫、旅行、山歩き、自転車旅の記録です。そして歴史歩きも。
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シモバシラ 高尾山

2019/01/01 15:26
今年も山歩きができますようにと、高尾山に登る。頑張って朝早く家を出るなんてことをせずに、いつものお正月どおりに、お雑煮を食べ、おせちも食べてゆっくりしたあと、出発。

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山頂12時。富士山には雲がかかっている。でも見えたので良しとする。秋の初めにシモバシラの花を見て、ぜひとも冬にシモバシラが立つ姿を見たいと思っていた。だから高尾山の頂上を過ぎて、あたりをつけていたとこを見て歩く。

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こんな表示があるから、この辺りかと思う。

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最初に見つけたシモバシラ。

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こちらロケットみたいな形。

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中央公論12月号

2018/12/27 12:24
  最近はDマガジンで週刊誌は比較的目を通している。と言ってもあれだけある中から私が目にしているのは、偏った内容のほんの少しだけだろう。週刊誌を買わないだけでなく、月刊誌も分厚いから、読むのが大変そうで、ほとんど手を出していなかった。でも今回は中央公論12月号が目についたので買ってみた。手にしてみると、とても勉強になった。週刊誌が、その時々の出来事を追っていてあまり掘り下げないのに対して、月刊誌は編集方針に基づいてテーマを決め、筆者を選び、論を展開しているもんだと思った。日々の新聞・ニュースあるいは週刊誌を読んでいるだけでは、今どんな重大なことが進行しているのか全体像は掴めていないのを実感。
 
中央公論12月号で入ってきたことをざっくり書いてみる。

佐藤優「北方領土返還、これが最後のチャンスだ!」…現在の米中あるいは朝鮮半島の動きの中でロシアにとっても日本にとっても、両者が接近しておく必要があり、両国の政治状況も今がチャンス。その場合、平和条約締結の条件として四島返還は取り下げてニ島返還で話をすすめ、ゆくゆく残りの二島の話し合いをしたらいい。

「新潮45」の杉田水脈(みお)「LGBT支援の度が過ぎる」掲載と廃刊…新潮45では「LGBTの彼ら、彼女らは子供を作らない、つまり生産性がないのです」という記述が批判の対象になった。自らもゲイ当事者であるという千葉雅也氏は「国家」とは、未来へとつなぐ子供という存在があってこそ意味をなす巨大な生命体です。しかしLGBTは子供を作らないため、その連続性を切断する敵対的な関係にある。国家主義的な保守たちは、LGBTのそんなところに疑問を投げかけるのです。」とし、最後に「批判者は休刊に追いやったことで喜んでいるでしょうが、これを成功事例として捉えてはいけないと思います」とある。

角幡唯介「関りを奪うテクノロジー」…論旨は「GPSなどテクノロジーを使うと便利ではあるが、目的を達成するまでの労力を省いてしまい、対象との身体的な関りが失われ、世界から切り離された、ある種の喪失感が生み出される。」。私は作家・探検家である角幡唯介氏のことをさっぱり知らなかったけれど、現在42歳で新刊「極夜行」は最近ノンフィクション本大賞を取っている。探検家がこんなにひきつける文章を書くのかと、アマゾンに彼の本を注文した。

あと印象に残ったのは「サピエンス全史」、カヴァノー判事、MeToo、ポピュリズム、「キングダム」、本庶佑など。
 

 
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奥久慈男体山

2018/12/26 22:41
日光の男体山ではなくて茨城県の北の方にも男体山があるのを知ったのは、だいぶ前に雑誌に載っていた椎名誠の文章だった。内容はすっかり忘れたけれど、いずれ行ってみたい気持ちだけ残った。と言っても茨城の北は遠い。水郡線に乗って行くと、一泊しないとならないのだ。今回は2台の車で行って登山口と下山口が別という計画にのった。

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  一台の車を水郡線の上小川駅に置いてから、もう一台の車で西金(さいがね)駅を経由して、駅から歩いたら1時間半ほどの山間の道を行く。途中からは道が細くなって、林道並みの道を行く。古分屋敷というところを過ぎて間も無く駐車場に車を置く。男体山が見えた。岩稜の山だ。

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  すぐに大円地(おおえんじ)というところに出る。狭い谷にあってその最後の開けた所だ。数軒の家があり、山の斜面には茶畑がある。

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  ここまで、細い谷だというのに、ここだけわずかに開けていて、興味深い。煙突が二本立っている、かまえがしっかりした家だ。

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  すぐに道が二手に分かれていて左手の道を取る。この登りは、地図には上級者向き(鎖場連続)とある。なかなか急な登りで、岩がち。でも適度に鎖がかけてあり、枝や根っこ、岩などつかむところもあって登りやすい。見晴らしの良いところに出た。西側の斜面が切れていて、真下に集落が見える。

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  遠くに日光や那須の山並みも見える。

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 頂上には男体神社の奥宮がある。標高差500メートル登った。

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 下りは鎖場のほとんどない、下りやすい道。だいぶ下って山の中に男体神社がある。人家からだいぶ離れていて、こんなところにポツンとあるのが不思議。一応杉並木がある。 

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  栃木県の男体山と同じ系統なのだろうか。でもこちらは男体神社で、あちらは二荒山神社である。

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  長福というところで、一度車道に出る。男体山の山容が見える。右手の方から登ったのだ。もう一度長福山を巻く山道に入る。  

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 椿が咲いている。上小川駅まで歩いて車に戻り、もう一台の車のところに行った。

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  奥久慈に来たのは初めてだ。車から見える特産物の看板が興味深かった。こんにゃく、林檎、納豆、奥久慈しゃも、奥久慈そば。常陸大宮市の道の駅「かわプラザ」に寄った。色とりどりの人参、舟納豆、むかご、パクチーなど。家で早速むかごご飯を炊いたら、家人はむかごだけ除けている。食べないのかと思ったら皮を剥いて口にしている。ちょっとね!12月19日


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高尾山頂には保育園児

2018/12/15 22:20
富士山を見たくなったので高尾山に行く。我が家から1時間ちょっとで高尾山口駅に降り立った。

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山頂からは真っ白い富士の嶺が望めた。山頂には12月の平日というのに、多くの登山者がいた。中高年は勿論、学校行事だろうか大学生が沢山、それに保育園の年長らしい子供たちがいた。

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山頂の向こうの陽だまりでおにぎりを食べていたら、保育園児が前の方に移動してきた。しばし観察。動物園の猿山を見ているみたいに面白い。先生が指示すると、その通りやるのだ。ますリックを開け、敷物を取り出して敷く。次に背中につけているタオルを取る。この時期汗で体を冷やさない配慮だろう。それから上着を取り出して着る。

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次はお弁当。コンビニのお弁当なんかでなく、ちゃんと家で作ってもらっている。すっかりコンビニのおにぎり持参の高校生登山とは違うのだ。箸を使っている子もいる。外国人には箸を使うのは難しいのに、日本の子供はわずか5、6歳で自由に箸を使うのには感心する。みんなポットに飲み物も持っている。
この子たちがどうして幼稚園児ではなくて保育園児だと思うかというと、保護者がついていないからだ。でも先生だけでなく補助をする人はいる。

ここまで見ていて、息子のことを思い出してしまった。息子は保育園に行っていたけれど、最後の1年半は幼稚園に行った。隣が幼稚園だし、放課後は見てあげますと言ってくれたからだ。でもあとになって、母親がほとんど顔を出さないというのは随分寂しい思いをさせていたことに気づいた。ある時、幼稚園の遠足の写真を見た。みんな母親とお昼を食べている中で、息子は声をかけてくれた母親のグループに入れてもらって食べていた。あの頃、幼稚園の遠足は母親も一緒に行くものだなんて気づいていなかった。
もう一つ思い出したことがある。幼稚園にはご飯だけは持って行く日があった。私はすっかり忘れていた。すると担任の先生は我が家に入って、炊飯器にあったご飯を幼稚園に持って行ったのである。何しろ幼稚園は隣だし、鍵もかけずに暮らしていたから可能だった。
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三菱一号館美術館

2018/12/13 12:12
東京タワーそばのタンゴでランチをしてから三菱一号館美術館に行った。4つ行ける東京駅周辺美術館共通館訪問の最後である。
券は4つの美術館が巡れてかなりお安かった。最初に行ったのは東京ステーションギャラリーの「くまもの」で、隈研吾の素材に対するこだわりがわかって、とても良かった。そのあと彼の本を読み分かったのは、20世紀の頑丈だけれど無機質な鉄筋コンクリート建築ではなくて、それぞれの地域の持っている素材を大切にする姿だった。その彼が引き合いに出しているのはブルーノ・タウトである。タウトは桂離宮を見てショックを受け、建築に対する考え方を根底から変えたという。タウトが感動したという、生きている竹を垣根にしているいわゆる桂垣も説明があった。私はその少し前に桂離宮に行っていながら、桂垣を見逃していた。
1月から12月まで有効なこの共通券を使って、その後しばらくは見たいと思うのが無くてそのままにしていた。プライベートな美術館だから世の中で大騒ぎされるレベルのはやってないのだ。でも年がつまって期限切れになりそうなので、ここに来て急遽3館に行った。いずれも日本を代表する企業が運営しているので、展示内容よりも、美術館そのものを見ることに意義を感じた。三井記念美術館は三井の本拠地である日本橋にあって、伝統ある建物の中。出光美術館は皇居を見晴るかす素晴らしい立地。

今回の三菱一号館美術館は明治期にライト設計で建てられたものを、復元している。今回の展示はフィリップスコレクション。思いの外混んでいる。何が目当てなのか考えてみる。

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ドガの「稽古する踊り子」じゃないかな。私が目指すとしたらこれだ。

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でも写真OKの部屋にあったこんな絵も印象に残る。

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上の方を見ると東京駅の屋根に似ている。あちらはライトの弟子辰野金吾設計だからそういうことか。

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中庭は洋風でお洒落。

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そばの並木には侘助みたいのが咲いているけど、シャクナゲの遺伝子が入っている気がする。

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赤いオープンデッキカーが走っている。こういうの初めてロンドンで見た時は、日本でも走る日が来るとは思っていなかった。

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こんなのを楽しむ風景も日本じゃないみたい。

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長いこと工事中だった東京駅前がスッキリした。

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皇居に向かう道、とってもすっきりして、一国の顔にふさわしくなった。

東京歩きの最後にオアゾの丸善に寄った。以前は松岡正剛プロデュースの一角があってその頃は折あるごとに寄った。久しぶりに行ってみると、さすがに丸の内のビジネスマン向けの書店、入る早々今をときめく本が目に入ってくる。子供ニュースの池上彰パパが毎日必ず書店をチェックするのが理解できる。私にも落合陽一という人物が超売れっ子であることが初めて理解出来たので、帰宅後ネットで彼の講義を聞いた。私も、今起こりつつあることに注意を払わねばという気になった。
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「メシ、風呂、寝る」から「人、本、旅」へ

2018/12/08 12:17
  出口治明氏について調べてみたら、還暦で立ち上げたライフネット保険から退き、今年から立命館アジア太平洋大学の学長になっていた。69歳で新たな仕事を始める人がいるというのは刺激になる。そして出口氏の歴史の視点は、世の中に広がった方がいい。私は前回ブログに書いたように、世界史目線の入り口に立ったところなので、この後はまずは出口氏の本を読もうかなと思っている。
 「世界史としての日本史」の最後の方には、「メシ、風呂、寝る」から「人、本、旅」へと書かれている。半藤氏によればいわゆる団塊の人たちは若いころには、計算も展望もない全共闘運動をし、それが終わると働きバチに変身し猛烈に働き始めた。そして出口氏によれば、吉田茂が敷いたグランドデザインでは、彼らはがむしゃらに働くだけでよく、勉強して余計なことを考えるのはむしろ邪魔になった。さて私も団塊の世代のしっぽにいるので、このお言葉を素直に受け取るには抵抗はがある。でも男はたくさん働いて帰宅が遅く、家庭は妻が守っており、「メシ、風呂、寝る」のイメージがあった。出口氏は言う。でもこれからは「人、本、旅」でたくさんの人に会い、たくさんの本を読み、いろいろなところに行って見聞を広めるべきで、そのためには早く職場から帰らなければならないし、バカンスが必要である。
 そして出口氏はこの方向に沿って、教員も学生も外国人が半分という立命館アジア太平洋大学の学長になったわけだ。
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「世界史としての日本史」

2018/12/08 00:43
 世界史にも目が行くようになって、目についた本が「世界史としての日本史」。

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 ライフネット保険会社をやりながらも世界史の本を出している出口治明氏と元文芸春秋編集長で「日本で一番長い日」などの作者半藤一利氏との対談である。対談本というのは安易に作っていて掘り下げてないイメージがあるので、しばらく置いておいたけれど、読みだしてみると、とても勉強になった。特に出口氏の世界史の視点が為になった。
 最近クールジャパンとか言って日本は素晴らしいという風潮だけれど、日本は世界史の中でほとんど存在感の無い国であると、まずは切り出している。そう言われれば確かにそうで、日本はまさに中華帝国の辺境にあったのであり、世界史の中で存在感を出したのは、大戦のころだろう。

 明治維新以降が第一立憲君主制で、戦後の憲法が出来てからが第二立憲君主制というくくり方はわかりやすい。幕末の幕府はかなり海外事情を知っていて阿部正弘や井伊直弼が開国派だったのに対して、薩長は尊王攘夷をとなえてむやみと外国を排斥していた。しかし薩英戦争と四国艦隊下関砲撃に負けて薩摩も長州もは攘夷が不可能なことを知る。そこで攘夷をいつの間にか取り下げておいて、尊王だけで幕府を倒した。だから別に明治維新の必要はなかったという。けれども彼らのやったことを正当化するため、そして国家のアイデンティ造りのために天皇を中心とする装置をつくる必要があったわけだ。新政府は明治天皇が大元帥の服装をし、皇后が洋装をした肖像画を日本中に配ったという。新時代が来たことを人々に知らせるためである。そういえばそれまでの天皇は、ほとんど御所から出なかったはずなのに明治天皇は日本中を行幸している。幕末から明治維新の歴史は薩長史観だったという論調が最近出てきている。私も、かつて大化の改新で蘇我氏を悪者にする必要があったように、新政府は幕藩体制を悪いイメージにする必要があったことに気づきだした。つまり歴史は勝者が都合いいように書かれるわけで、そのあたり、この本でさらにイメージ出来た。。

 司馬遼太郎は「坂の上の雲」を、それまではマルクス史観の影響で日露戦争が侵略戦争にくくられていたのに異を唱えて書いた。強欲なロシアが北の方から圧力をかけてきたので、まだ青年期の日本が横暴に耐えかねて、ついに勝負をいどんで勝利したというイメージで書いている。しかしこれはきれいすぎるのじゃないか。実際はロシアの革命騒動に乗じて、日本の方が戦争を仕掛けて、満州の権益を虎視眈々と狙っていた。日露戦争後には、賠償金が取れなかったと言って日比谷焼打ち事件が起きた。この時、日本はそれ以上戦争を続ける力はなく、小村寿太郎はポーツマス講和会議で見事な駆け引きをやっていた。けれども陸軍は連戦連勝の情報ばかり流していたので、国民は実際の状況を理解していなかった。日露戦争の結果、日本はロシアから満州の権益を引き継ぎ、満州に執着するようになったのである。

 冷戦は日本にとって幸運の代名詞だった。冷戦中は、日本が少々わがままを言っても、アメリカは日本を守ってくれて、絶対にロシアや中国の味方はしなかったが、今は国益で判断する。日米安全保障により、強兵を捨て、富国に絞った吉田ドクトリンのもとで日本は高度成長を遂げたたわけだけれど、半藤氏のインタビューに吉田茂が答えている。「みんな、憲法を改正して、早く自衛隊を国防軍にしろと言うが、そういうことはしない方がいい。むしろ、この国は、今の協調路線をしっかり守っていた方がいいんだ。」日本はもういっぺん、富国だけでなく強兵でもありたいなんて考えを持ったら、大間違いだと、それをさかんに言っていたという。

  いろいろ勉強になったけれど、最後に「世界のなかの日本を知るためのブックガイド」の章がある。いろいろな本が紹介されている中で、出口氏が「やはり、第二次大戦のことをきちんと勉強して、将来に役立てようと思ったら、新書を4〜5冊読んだくらいではダメですよ。きちんとした本を、ある程度苦労して、自分に負荷をかけて読んで、初めて自分の実になるので、簡単な本はどこにもありません」と言っている。
 うーん、私には「将来に役立てる」はあるんだろうか。将来がないから、今の立ち位置のままでいいと考えたらつまらない人間になるのは確かではある。しかしこのレベルの人たちはどういう風にしてこれだけの勉強してるんだろうか。 
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「ROME」

2018/12/07 18:24
漫画「テルマエロマエ」の作者ヤマザキマリさんが、アメリカとイギリス合作のテレビドラマ「ROME」を夜も眠れないほど興奮して見たというのを読み、私もアマゾンプライムで見始めた。スポーツクラブでステップマシンを踏みながら一回につき一話見るのである。

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1時間ドラマで1部、2部それぞれ11話づつある。1部はカエサルの暗殺までで、そこまでは見た。

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主人公は第13軍団長のヴォレヌスと、その部下のブッロ。

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 このドラマの登場人物で、私にはブッロが一番恰好良く見える。

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 カエサルの姪のアティアは、カエサルの後継者であり帝政を始めたオクタヴィアヌスの母親である。演ずる女優はちょっとソフィア・ローレンに似ている。でもなかなかの野心家で、憎たらしい役どころ。

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  今、第2部の2回目が終わったところで、オクタヴィアヌス役はまだ少年、いや青年になりつつある。この賢い少年の雰囲気が良く出ている。

 このドラマは200億円かけた大作である。アメリカドラマらしく暴力シーンがリアルで目を背けるにしても、戦闘シーンはあまり多くはない。成人指定であるけれど、日本版はカットしているのか、その方面もあまり多くない。いずれにしても装置や衣装、それにストーリーが迫力がある。
 さて、私が何を思うかというと、このストーリーの紀元前後の日本はまだ弥生時代で小国の時代なのに、ローマはあれだけの文明を持っていたのかということだ。考えてみると、日本は東アジアのローマ帝国みたいな中華帝国の辺境にあって、その影響下で文明をきずきつつあった。
 
 ここ数年、日本への関心を中心に過ごして来たけれど、ここにきて世界にも目を向けるべく軌道修正。夏のパリ滞在もそのあたりを考える機会になった。


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柚子胡椒

2018/12/04 07:00
狭い庭だけれど、暑かったせいか、柑橘類の実りがいい。
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今年は柚子がよくなっている。

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みかんもよくなっている。

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柚子と青唐辛子、そこに20パーセントの塩を足してミキサーにかける。柚子胡椒の出来上がり。

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寿司づくり

2018/12/02 21:33
今日の寿司メイキングレッスンはまず大宮市場で本マグロを買うところから始まった。

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何回か車で通り過ぎたことはあるけれど、市場の中に入るのは初めて。大宮市場の中には青果市場と魚市場があり、毎週土曜日は8時半から11時まで一般の人も利用できる。ここで各自、自分で切る為のマグロの切り身を買う。

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先生が買ったのは1キロ2000円の本マグロ1.8キロ。まず、赤身の部分を取り除いてから切っていく。

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各自包丁を使って自分用の切り身を作り、そして握りに取り掛かる。以前握りを教えてもらった時には手順がさっぱり頭に入らなかったけれど、2回目の今回は少しわかってきた。

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次にヒヨコの巻寿司をつくる。

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翌日早速残りの切り身で4人分の握り寿司と巻寿司を作った。好評。今度また大宮市場に行って、寿司メイキングして、集まりが出来たらいい。


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畑じまい

2018/12/01 21:59
直江津の春日山城を後にして東御に回った。

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庭に残っていたマリーゴールドや百日草などを引き抜き、豆を収穫した。

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トマトとか豆のフレームを片付け、翌日にはトラクターで耕してもらった。これで今年の畑は終わり。

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前回植えておいた玉ねぎの苗はほとんど付いている。

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前回3人で3晩夜なべしてむいた柿はカビが入らず、いい色に仕上がっている。

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庭に花はほとんど咲いていないけれど、冬桜は咲いている。
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鞘から豆

2018/11/29 22:31
今回の夜なべ仕事は鞘から豆の取り出し。

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今年も畑の面倒をあまり見られなくて、エンドウ豆の食べ時も逃していた。そのままにしておいたのを今日は畑のポールを片付けることになったので収穫した。夜ほろ酔い加減で豆を鞘から取り出す。前回は干し柿用の柿剥きを3晩したけれど、今回は1晩で終わり。でもこれだけ取れたら我が家では豊作。灰をたっぷり撒いたのが良かったか。

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午後はダッチオーブンを取り出してきて焼き芋を作った。

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今年収穫したサツマイモのほとんどは紫芋。

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とっても美味しく出来た。
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弥彦神社の茶屋はつげ義春の世界

2018/11/27 22:11
弥彦神社に参拝してから弥彦山に登る。
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弥彦山に登ると言うことは、弥彦神社の御神体に登るということなのだらう、登山口に鳥居がある。ちょっと登ったら茶屋に出た。

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今も現役でやってる。冷やし甘酒150円とある。でもまだ登り始めなので寄らずに通り過ぎる。

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まさに、つげ義春の世界。こう言う店をやれたら結構良さそう。

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尾根近くなるとロープウェイの山頂駅がみえてきた。

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頂上まで1時間半。頂上には峰宮がある。鳥居には天香後山命とある。

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弥彦山は標高634mでスカイツリーと一緒。直ぐに海に面している。佐渡が直ぐそばのはずなのに見えない。でも海岸線は見える。

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信濃川の大河津分水が見える。

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日本海の反対側は越後平野。直ぐ下は昨日泊まった弥彦温泉。

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山頂のそばに弥彦スカイラインが通っていて、駐車場から巨大な電信柱みたいのが立っている。展望台らしいけれど、あまりにも細長くて怖そう。そういえば昨夕新潟のテレビが新潟市内のレインボータワーを取り壊したと言うのをやっていて、それとそっくりではないか。調べてみたらこの二つは同様の作りで、弥彦山のはパノラマタワーという名だった。回転昇降式の展望台がついていて、どちらも高さ100メートル。それにしても、ただの棒みたいな作りで、よく倒れない。

午後は長岡にある県立博物館に行った。ちょっと不便な立地ながら、ものすごい立派な施設で展示も充実していた。ただし訪れていたのは、我々の他に1人。越後平野は新潟のあたり湿地で開発が遅れていたのを大河津分水を作ったり、人力の踏みぐるまなどを使い大変な工事をして今日があるのがわかった。深田での稲作の大変さが印象に残った。そして冬の豪雪。越後は生きていくのが大変なところだった。


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弥彦神社

2018/11/26 22:05
今回は新潟県を目指す。まず燕三条に行く。地場産センターで庭木用剪定バサミと、スプーン・フォーク・ナイフのセットを買う。次に何をしたかといえば、すぐそばにあったイオンに寄って荏胡麻オイルを買った。先日「試してガッテン」で痩せるのには荏胡麻油がいいとやっていだそうで、アマゾンも品切れ、都内のスーパーでも売り切れだと言う。それじゃ地方で売っているのではと言うことになり、あるじゃないのと喜んだ。うーん、なんか話が俗になった。それから寺泊に行く。「寺泊角上」で夕食用にベニズワイガニを買う。

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夕方、越後の国の一宮、弥彦神社に参詣する。

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拝殿。

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屋根付きの太鼓橋がある。

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様々な菊の展示がある。
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つげ義春

2018/11/23 11:07
養老渓谷のことを調べていたら、この辺りにつげ義春が「貧困旅行記」に書いている鉱泉宿があることが出てきた。そう、私は彼みたいな世界が好きだったのだと気付いて、ブックオフに注文した。彼の描いた鄙びた世界は私が学生の頃にも残っていたから、まったく遠い昔のことではない。今日みたいに、一人で朝からこたつに入っていると、掃除とか仕事とかそういうきちんとしたことは無しにして、このままずっと寝転がってつげ義春の本を開き、彼の世界に浸りたくなる。

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「貧困旅行記」の最初にある「蒸発旅日記」は本を書いた時点からさらにもさかのぼった若い時の旅で私のイメージする彼の雰囲気がよくでている。会ったこともないけれど手紙をくれた女性と結婚してそちらに住んでしまうのもいいかと小倉に行った時のこと書いている。結局は温泉を巡り、パチンコをしたり、ヌードスタジオに通って踊り子と寝たりで終わる。
彼の旅は古くて寂れて、なんとなく暗いようなところが好きで、そういうところに行くと気が沈むのだけれど、気持ちが落ち着くという感じ。陽じゃなくて陰に惹かれれる感じ。
後の方には、妻と7歳の子供を連れた旅も出てきて、世の中に通用する生活になったのかと思う。しかも文学書、哲学書も読んでいるらしく教養も感じる文章。でも鎌倉では6万7千円の銅製の千手観音を買っており、家族旅行といえども気持ちが違うところにも行っている。何しろ彼は閉鎖された鉱泉宿を引き継ぐとか、住職のいなくなった過疎地の寺で住職ができないものかと考えていた。私も今度から骨董屋があったら、自分の念持仏を探そうかと思った。

「つげ義春とぼく」のほうには密航や自殺に失敗した話、何度も家賃がたまってしまった話、売血したことなどが出てくる。

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若い頃のつげ義春の写真をみるとなかなか雰囲気がある。


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ソラちゃんとシドちゃん

2018/11/22 17:55
久しぶりにソラちゃんとシドちゃんに会った。といっても友人は二匹の写真を隔月でスマホの待ち受けにしていて会うたびに可愛いでしょうと見せるから、そんなに久しぶりの感じでもない。

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目も開かないうちに拾われて、猫ミルクをあげて育てたソラちゃん。家のハナの2倍以上はある。

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人たらしだそうなシドちゃん。この時は寝ぼけまなこで距離感あり。どちらも、家のハナの半分も生きていない。
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里芋の小芋

2018/11/18 14:24
近所の方から里芋の小芋をいただいた。皮をむいて煮物にしようとしたけれど、待てよ、これをむいたらあまりにも小さくなると思った。これは茹でて食べるべきだと考えた。

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頭の方だけちょっとむいて、そこにお醤油をつけ、あとは皮をつまんで身だけ口のなかに入れる。トロッとして、ちょっと甘みがあって美味しい。そしてこれこそ、幼い頃、5歳まで深谷の農村地帯にいた時に食べて、美味しかった記憶のあるほとんど唯一のものなのである。
何しろ深谷の街中にも遠くて、お菓子を買ってもらった記憶もない。昔殺人をしたと噂の男が売りに来る「殺人納豆」は時々食べた記憶がある。三角形の包みに入ったまだ暖かくてふっくりした大粒な納豆が、たっぷり入っていた。そこに母が里芋同様に菜園で作ったネギをたっぷりかけた。母は何しろ農家の娘だから畑仕事は得意だったのだ。
そんなことを考えていたら、あの頃母が鶏を飼っていて、時々卵買いが来て売っていたのも思い出した。そして社宅生活ながら、前に広がる土手を利用して山羊も飼い出した。でもまだ子ヤギのうちに東京の大崎に引っ越すことになったのだ。
セーターだの私の着るものはほとんど手作り。前夫に戦死され、再婚するまでの1年間、実家に身を寄せて洋裁を習った。編み物は近所の人に習ったという。子供の頃は既製服を着たくて仕方なかった。
思えばあの頃、母は30代だった。女学校に行きたかったけれど、その頃村で女学校に行ったのは村長と寺の娘だけ。子供だけは高校にあげたかった、そんな思いでいたとよく言っていた。
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この頃ハナちゃん落ち着いた感じ

2018/11/10 11:35
一時は夜泣きをして、認知症になったかしらと心配したけれど、この頃ハナちゃん落ち着いています。

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夏はやっぱり寝室のエアコンが嫌だったんでしょうね。別の部屋に行っては大きな声で泣き、これからが思いやられました。今は常温なので、私の頭の左側が定位置です。でも一晩うるさく泣くことがありました。私もハナの後を付いて歩いてはまた寝るのを10回ほど繰り返して、ホトホト嫌になりました。最後にふと見ると、猫砂の蓋が反対向きにかぶせてあって、中に入れないで居たのでした。
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焼き芋

2018/11/06 06:34
紅芋と安納芋の苗を植えたのに、掘ってみたらほとんどが、紫芋だった。

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結構大きい。マルチをするようになってから、大きなサツマイモが取れるようになったのだ。

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今回は焼き芋にした。火が炎を立てなくなってから、アルミホイルにくるんだサツマイモを埋めておく。玉ねぎ丸のままと、ジャガイモも焼く。

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紫芋の焼き芋というのは、聞かないけれど、思ったよりいい。ジャガイモにバターをのせてジャックポテトにして食べる。タマネギは甘くてとろけるような出来。さらに紅芋にバターばかりかハチミツもかけてみた。
こちらに来て15年。バーベキューはやるものの、焼き芋をやったのは初めて。なんで今までやらなかったんだろう。
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大根いろいろ

2018/11/05 10:15
道の駅「雷電くるみの里」。今回は店内が配置換えしてあって野菜の種類が豊富で、しかも安い。

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左から黒大根、紅しぐれ大根、紅くるり大根、そしてカボチャのコリンキー。

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黒大根は中も真っ黒なのかと思って切ってみたら、ふつうに白だった。早速おでんに入れて食べた。紅しぐれ大根は以前直売所で買ったことがある。浅漬けにすると、紅色が綺麗に出る。コリンキーは私には初めてのカボチャで、生で食べられそうだから、まずはサラダにしよう。味はズッキーニに似てるんだろうか。
袋には「ままらいふ」とある。ネットで調べてみると住所が滋野になっている。これからも、いろいろな野菜が楽しみ。ひょっとすると普段見ない野菜が置いてあった「まるや」さんと同じ人が出品しているのか。
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干柿吊るした

2018/11/03 07:56
友人二人が柿の皮をむいてくれ、私が紐に通す役割。夜なべ仕事を3日やった。

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結構な作業だったけれど、軒の下に吊るすと、それほどの量には見えない。昨年はカビが入ったから、今年はむいた柿を、まず焼酎につけた。
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濃茶をいただく

2018/10/23 22:49
時代祭りが終わって寺町通りを歩いていたら一保堂の本店を通りかかった。店先のお茶売り場は、外国人客も居て、混みあっている。それぞれの客に、店の人は商品を丁寧に説明している。スペイン語で話している店員もいる。

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一度入ってみたかったけれど、一人では入りづらかった。この日は連れが2人居たから、20分ほど待つのも気にせず喫茶部の席に着いた。

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濃茶をお願いする。抹茶碗の中には漆の光沢の濃緑色のものが見えて、それが濃茶だった。いただくと、気持ちが覚醒する感じ。こちらは練って作るとの説明。次にこの碗で、今度は薄茶を立ててくださる。残っていた濃茶の分量でお湯の量を調節するそう。こちらの店の方は皆さん、親切で、そういうことに疎い私の質問にわかりやすく答えてくださって有難い。おかげで、お点前など知らないながら、夜はネットで初心者向けお茶道具一式なんてのを眺める気になった。山荘に1人でいるときに、お茶を立てるなんていいではないか。
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これで1500円

2018/10/16 09:30
この頃正攻法ではなくて、視点を変えた歴史本が目につく。漫画に関して言えば池田理代子の「ベルサイユのバラ」とか山岸凉子の「日出処の天子」を大分前に読んでそれ以後しばらく読んでいなかった。それが最近になって、あんの秀子の「ちはやと覚える百人一首」を手にして、この世界はとても進化しているじゃないかと思った。今や東京ビッグサイトで夏冬開かれるコミックマーケットの参加者は60万人、漫画はすごい広がりを見せているわけだ。そしてこの界隈には現代の才能溢れる人々が出入りしているわけで、作品内容も進化している。
さして漫画を読まなかった私ではあるけれど、ここに来てちょっと読む気になった。今更エントリーするのも遅いと言うべきだけれど、スマホと同じで旧世代といえども、このあたりの恩恵は受けておく気になった。

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まずは「テルマエ・ロマエ」のヤマザキマリ関連。ブックオフで注文したら1500円で12冊来た。彼女のだけでは足りなかったので目に付いた堀江宏樹の「乙女の日本史」も入れておいた。

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結局「乙女の日本史」を読み始めた。女性史観が新しい。イラストと漫画が入っていて、絶妙な編集。この頃、編集技術が進化している。この本の著者はてっきり女性だと思っていて、ふと名前を見ると男の名前。興味を持ったのでまた1500円分注文した。かくしてこの頃図書館に行ってない。断捨離から遠い生活。

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佐伯牧場 北根室ランチウェイ6

2018/10/14 00:47
佐伯牧場に泊まって、牧場内を見て歩き、夜は八戸の環境省の方とも一緒に過ごし、佐伯さんとたくさんお話をしたことを思い出すと、今も気持ちが高鳴ってしまう。

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 佐伯さんは牧場を経営しながら、北根室ランチウェイをひらいたばかりでなく、小屋も作るし、すてきな木工作品を作るのだ。

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 作品がとってもやさしい。

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 あんまり考えず作るんですというけれど、それは木の枝の本来持っているものを感じ取って制作するからだろう。

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  組み合わせたのもある。

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  広い敷地にいろいろな建物がある中の一つが、佐伯さんのアトリエ。奥のほうも見学させてもらう。 

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  ランチウェイの看板はステンシルで作るそう。

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 鍵をかけておくのに便利そう。そういえば、環境省の「みちのく潮風トレイル」のマークは佐伯さんの木工からおこしたものだ。

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 牧場内にはいろいろな建物がある。これは「帰農館」。集会が出来そう。

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 パンスタンド。「牧舎」で焼いたパンをここで販売する。

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  燻製小屋。こちらはお友達と1日でたててしまったそう。でもその前に準備に時間がかかっているはず。我が家の山荘にも家人がこんなのをあっという間に建ててくれるといいんだけど。参考にいろいろな角度から写真を撮っておいた。

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 「荒川版画美術館」の看板が出ている。入場料無料。

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 これはたしか薪小屋。


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佐伯牧場へ 北根室ランチウェイ5

2018/10/13 00:23
 養老牛温泉からちょっとの間、舗装路を歩いた。後で聞いたら道路に沿ってトレイルが作られていると言われた。
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 また森の中に入る。

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 クマ除け様のシンバルみたいなのがある。確かにこんな森の中はばったり出会いそう。何しろこちらがいることを知らせるのが大切だから何度もたたいて大きな音を出しておいた。

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  牧場の中を歩く。

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 馬もいる。

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  人だけが通れるように扉がある。

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  横田牧場さんを通過させてもらっているのだ。

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 牧場を出ると猫が歩いてきた。

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 牛みたいに、首に何かつけている。こういうところの猫は自由に歩けてよさそう。

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  この川を渡ると佐伯牧場だ。それにしても板が渡してあるだけだから、ちょっと緊張する。

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  芝生の中にいろいろなオブジェがある。

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  レストラン「牧舎」。次の日はここでゆっくりお茶しようと思ていたら木曜日は定休日だった。でもこの日はまだやっていたので、夕食用にカレーとチーズケーキを取り置きしてもらった。

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  こちらの2階に泊めてもらうことに。

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 部屋はとても快適。
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養老牛温泉 北根室ランチウェイ4

2018/10/12 00:02
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北根室ランチウェイで出会った中でも、大きな木。いろいろなタイプのサインが使われている。

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  キノコには結構出会った。

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 この時期あまり花が咲いてない。ミヤマハコベだろうか、この時期咲いている花は貴重だ。

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  養老牛温泉に出た。「ようろううし」と読む。アイヌ語からきている。松浦武四郎もこの地を踏んでいるけれど、和人にはあまり知られていなかったようだ。
 大正5年に西村武重は、養老牛から15キロほど南西にある虹別のアイヌの長老から、アイヌの人たちはこのあたりで300年も前から季節ごとに熊を狩り、ヤマベを釣り、湯治をしていたことを知った。そして養老牛温泉までたどり着くと、小高い所に熊の頭骨が50〜60個も並び若木を削った木幣(イナウ)が立てかけてあるのが見えた。それが現在のカラマツの湯があるところで、現在温泉があるところにも熊送りの祭壇があった。「実に荘厳で神秘的なものだった」と記録している。西村は北海道庁に温泉の許可申請をし、馬車道を新設し、大正9年に養老園を開業した。

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  昭和40年代には6件の宿があった。
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  今は2件のみ。温泉だからいろいろな施設があるかと思っていたらとても静かなところだった。養老牛の由来を書いた看板が一か所だけあり、興味深い写真が出ていたので、写させてもらった。
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モアン山 北根室ランチウェイ3

2018/10/11 06:33
西別岳山小屋に泊まったのは私たち2人だけだったけれど、朝出かける頃になると70前後と思しき男のひとたちがそれぞれにやって来て、車を置いて西別岳の方に登って行った。台風が過ぎて皆さん動き出した模様。
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小屋から4.3キロは森の中のダラダラとした砂利道を歩く。森が終わったところに始めてランチウェイの標識が出てきた。ここまでは国立公園だから標識が立てられない地域だったのだ。

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左側が森で右側が牧場の道をしばらく行く。いよいよ牧場(ランチ)を見ながら歩くわけだ。

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トレイル歩きは自己責任とある。

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「Use a bell.Let bears know you are approaching.」和製英語じゃない感じ。

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熊よけの鐘が3箇所ある。

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ケネカ川を渡る。川には水があるし、魚が居るからヒグマもウロウロするのだろう。ケネカ湿原はちょっとジメッとした森の中。

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湿原を過ぎるとカンジウシ山が見えてきた。

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さらに行くとモアン山、356.7mが見えてきた。とってもいい景色だ。北根室ランチウェイで一番いいところじゃないだろうか。この景色を思い浮かべるたびに何度でも行きたくなる。

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モアン山は夏の間は放牧に使われているから、登ることはできない。

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ここで、佐伯牧場に電話して今日の宿をお願いする。この辺りヒグマがいますから、しっかり笛を吹いて来るように言われた。

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クジャクチョウが沢山飛んでる。この日歩いたのは26.3キロ。10月3日。
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西別岳山小屋 北根室ランチウェイ2

2018/10/10 06:30
 北根室ランチウェイの最初の宿は西別岳山小屋。

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  避難小屋にしてはログハウスのしっかりした素敵な建物。広々としたところに建っているし、林道が通っているから車も入れる。でも、この日に宿泊したのは我々二人だけ。

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 水はない。それはわかっていたから2日分の水を運んできた。もちろん食事は出ないから、バーナーを持ってきたし、女満別空港そばのニッポンレンタカーでカートリッジを手に入れてきた。

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 布団はたくさんあった。人数が多ければまわってこないだろうから、寝袋持参が無難だろうけれど、この時期の平日はすいていると思ったから寝袋は持って来ていない。

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 本がたくさんある。この小屋で何日か過ごしたら快適そう。実際次の日に会った青年は4日間ここに滞在し、2日間は一人だったと言っていた。

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  ストーブの大きいのがあって、薪もたくさんある。ストーブを炊きたいのだけれど、全然寒くない。レトルトご飯にレトルトカレーを温めて夕食とする。灯りは置いてあった5センチほどのロウソクが燃え尽きると、あとは小さなライトだけ。

夜、外に出ると、空には満天の星が出ていた。天の河が空を横切り、大変な星の数。気分が一挙に変わって、幸せ気分になる。果たして翌日からは快晴になった。ビールもワインも持っていなくて、そういうのもさみしいかと思ったけれど、横になったらあっという間に眠りに入った。布団は暖かいし、ドアには鍵がかかり、快適な眠りだった。
  
 壁にこの山小屋と登山道を整備する加藤利助さんの新聞記事が貼ってあった。
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利助さんは40年以上前からボランティアとして西別岳への登山道の整備や高山植物の保全を行ってきた。高山植物の宝庫である西別岳は盗掘で荒らされ、笹が繁茂しつつあったのだ。14年前には周囲の人が西別岳山頂の東寄りにある787mの山を「リスケ山」と名づけ、環境省に働きかけて標柱を立てた。今や環境省の作るガイドマップにもリスケ岳の山名が記載されている。この記事は2014年の新聞だから、その時利助さんは83歳。今も西別岳に登り続けて活動をしているとあった。私たちも登山道にあった土嚢がとても足にやさしくて歩きやすいと話していた。それも利助さんが整備したものだった。このあと佐伯農場の佐伯さんに聞いたら、利助さんは今もお元気で、昼間は小屋に来ているという。私たちは夕方着いて朝出発したから、残念ながら会えなかったわけだ。
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摩周湖 西別岳 北根室ランチウェイ1

2018/10/09 22:42
北根室ランチウェイは全長71,4キロのトレイルで、中標津から牧場を縫って摩周湖を抜け美留和町に至る。佐伯農場を経営する佐伯雅視さんが8年がかりで整備した道である。昨年歩いたスェーデンのクングスレーデンに続くロングトレイル歩きの第二弾のつもり。
 北海道旅行の初日2日を一緒した友人3人に、レンタカーで女満別空港に到着した一緒に歩く友人を拾ってもらい、摩周湖第一展望台まで送ってもらった。ほとんどの人は中標津方向から歩くようだけれど、歩き始め初日を有効に使うために摩周湖からとした。ということは美留和駅から摩周湖第一展望台までの6,6キロは歩かないことになる。

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  前日に台風が抜けたものの、摩周湖の展望台に立った時はまだ雨が降っていて深い霧、見送ってくれた友人たちも心配そうだし、我々2人も意気が上がらない。

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 でも歩き出すころには、雨が止んだ。

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  カルデラの火口壁上のなだらかな道を歩いていたら、曇り空ながら、摩周湖が見えるてきた。

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 前方は広々として気持ちがいい。摩周湖ばかりでなく、ふもとも見えてきた。

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  紅葉が始まっている。

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  たぶんフジノマンネングサだろう、苔が素晴らしい。

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 ハイゴケの一種かと思われる、毛が長い苔。

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 キノコも出ている。

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  ナナカマドの実は赤く熟している。

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 左手に見えるのが摩周岳。上の方には雲がかかっているけれど、こちらの方に向かって火口が口を開けている。かねてから摩周湖の写真を見るたびに登りたいと思っていた。でもこの日は歩き始めが11時半だから、時間がない。でも摩周岳のそばを通ったから良しとする。

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  コース中の最高峰の西別岳799,8メートルを超えて、リスケ山787mへ。このあとは西別岳山小屋335mまで「がまん坂」なんていう登りだったら大変そうな道をひたすら下ることになる。

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 先の方に、これから歩く根釧台地が見えている。山歩きはこれで終わりだ。西別岳山小屋着16時。この日の行程は11キロ。
10月2日
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「神と仏の明治維新」 古川順弘

2018/10/08 12:03
私は子供の頃、5万分の1地形図の神社の鳥居マークと寺院の卍マークを見ても、似たようなものだと思っていた。神社は日本古来からある神道の施設であり、寺院は外来の仏教の施設であると認識したのは大人になって大分経ってからである。日本を訪れる外国人にしても、神社と寺院が一緒になっている人が多いだろう。実のところ、日本では神仏は集合してきたのだから、両者にそれほどの違いを感じないのも当然かもしれない。神社と寺院をはっきり分けたのは明治維新の神仏分離令による。さらにそのあと吹き荒れた廃仏毀釈によって多くの寺院が破壊されたり、縮小された。日本では仏教が入って来ても、既成の宗教との争いは起こらなかったと言うけれど、明治の初めには仏教は弾圧された。同じく浦上四番崩れと呼ばれる長崎のキリシタンたちへの弾圧では600人が殉死している。
神道分離令と廃仏毀釈について思いが行くようになってみると、あちこちの神社でその名残が目につくようになった。羽黒山の長い石段の両側には寺院跡があるし、将門が建てたという五重塔は神殿ということになっていた。藤原鎌足を祀る談山神社にも十三重塔があって、かつて寺院だったものが神社になったことがわかった。大分県の宇佐神宮には弥勒寺跡があって今は何もない。丹沢の大山阿夫利神社に至る山中にも、岩清水八幡宮の山中にも寺院跡が多数あった。

古川順弘氏の「神と仏の明治維新」は神仏習合から神仏分離令、廃仏毀釈、さらに主要な神社と寺院のたどった歴史がまとめられている。読んでみると、日本は神道と仏教は思っていた以上に共存していたことがわかる。その際、指導権を握って来たのは仏教であり、まして江戸期には幕府の宗教政策を担ったのは仏教である。であれば、天照大神を祖先神とする天皇を主役とする明治国家はここに手を入れる必然性があった。
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「昭和の怪物 七つの謎」 保阪正輝

2018/10/07 19:15
思えばこの3ヶ月ほど本を読んで無い。旅先にいたか、一日中パソコンに向かっていたのだ。でも昨日は駅前の書店に寄って、本を買った。小さな本屋だから選択肢は大してなくて、目に付いたのを、これもご縁と選ぶ。日曜など関係のない身分にしろ、何しろ世の中は休みだから、やるべきことは棚上げにして、今日は久しぶりに寝っ転がって本を読む。まずは保阪正輝氏の「昭和の怪物七つの謎」
私の昭和史の知識は教科書レベルというか、教科書の抜粋版程度だからここに登場するいずれの人物の話にも、そうだったのかと、勉強した気分になる。以後簡単にまとめてみる。

東條英機
戦争不拡大方針の天皇の意向をくんで、内大臣木戸幸一は強硬派の陸軍を抑えられるのはその主導者である東條しかいないだろうと考えて、首相に推した。しかし東條のもとで日本は3年8ヶ月に及ぶ太平洋戦争に突き進む。東條は精神論だけの軍事指導者で、敗色が濃厚になっても聖戦勝利のみを訴え続け、そこには具体的なプログラムは無かった。

石原莞爾
私は石原莞爾を関東軍参謀として満州事変の仕掛け人、その後の15年戦争の引き金を引いた人物というふうに理解していた。それはそうなのだろうけれど、保阪正輝氏は石原莞爾を評価している。石原莞爾は来たるべき「世界最終戦争」の前段階として当時の状況をとらえており、中国を支配する発想ではなく、共に連帯して、イギリスなどの欧米支配と戦うべきとしている。彼は日中戦争にも太平洋戦争にも反対の立場だったから東京裁判の被告にはならなかった。

犬養毅
五一五事件で犠牲になった犬養毅は「憲政の神様」と言われている。海軍の士官2人と士官候補生が土足のまま入って来ると「撃つのはいつでも撃てる。あっちへ行って話を聞こう‥‥ついて来い」と言って家族と意図的に離れ日本間に士官たちを連れて行き「まあ、靴でも脱げや、話を聞こう」と言ったが、別な4人が現れて「問答無用」とピストルを乱射した。この事件をもって、日本の「話の政治」は終わり、自由にものが言えなくなる。犬養毅の章で印象的なのは孫娘の犬養道子さんだった。彼女は11歳の時に事件に遭遇している。さらに彼女の父親の犬養健はゾルゲ事件の尾崎秀実に関係したとして逮捕されている。

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瀬島龍三
実はこの本を買った理由は表紙にある4人の人物のうち、右から2番目の写真に目が行ったせいだ。この写真は瀬島龍三が東京裁判の法廷で証言しているところで、当時35歳。1911年生まれの瀬島の人生は波乱に富んでいる。大本営作戦参謀、11年間のシベリア抑留とこの間の東京裁判におけるソ連側証人としての出廷、伊藤忠商事会長、中曽根康弘内閣の臨調の委員。筆者は「瀬島龍三は史実をどう改竄したか」という章立てをしていて手厳しい。その改竄の体質は現在の森友、加計問題におけるエリート官僚の動きにも通じるとしている。

吉田茂
吉田茂は軍事指導体制に反対し、近衛文麿らと戦争終結をどのようにするか話し合っていた。終戦の年の2月のいわゆる近衛上奏文は吉田茂が書いていたとある。かつて沖縄のテレビ局が「遅すぎた聖断」という番組を作ったものの、本土で上映されなかった。当時は「教え子を戦場に送るな」の時代だったから、私は手に入れて、高校生に見せていた。「もはや敗戦は必至である。それよりも共産革命の可能性があるので早く終戦にもって行くべき」とした上奏に対して、天皇は「梅津がもう少し敵を叩いてからいい条件で終戦に持って行ってはと言っている」として終戦の聖断がなされなかった。その結果、沖縄戦になった。その近衛上奏を作成したのが吉田茂だったとは。
吉田茂は戦後、幣原喜重郎内閣のもとで外相を務め、日本国憲法制定に関わり、発布時の首相だった。マッカーサー草案を見たときには、天皇が存在することが認められていて安堵したという。憲法が発布されたのは11月3日の明治天皇の誕生日である。それは天皇の「日本の民主主義は明治天皇の発せられた五箇条の御誓文に見られる」との発言から吉田がこの日を選んだのだという。自らが関わった 憲法には彼の自負があった。だから憲法改正にはあからさまに不快感をしめしたという。
吉田茂はサンフランシスコ講和条約締結時の首相でもある。この会議で吉田は日本の再出発の決意表明の演説をした。会場は強い拍手に包まれ、翌日、49カ国が講和条約の調印をした。調印から8ヶ月後の1952年4月28日に講和条約が発効し、6年8ヶ月に及ぶ占領が終わり、日本は国際社会に復帰した。その条件の1つは東京裁判を受け入れることだった。
今、首相は「戦後レジームからの脱却」を掲げている。それは吉田茂らが作り上げた敗戦後日本の出発をないがしろにしているとまではこの本で、筆者は書いていないけれど、そんなことを言っていたような。
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ハナちゃん歳取ったかも

2018/09/22 07:07
日本に帰って玄関を開け、ハナと呼んだら大変な声でハナが泣きだした。抱いてあげても治らない。動きもやっとのようで一気に歳とっちゃったみたい。留守中は夜泣きして大変だったという。

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でも夜になると私の顔の左手の定位置にやってきた。そして一言も泣かなかった。

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家を留守にする時はハナのことが一番気にかかる。猫のために出かけるのをやめようかとも思う。翌日になったら、ハナの顔付きが大分良くなった。少なくとも来年までは長く留守にすることは無いと思う。
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ジャポニズム2018 パリ

2018/09/21 14:53
今年から来年にかけて、「ジャポニズム2018」という一連のイベントがパリを中心に行われている。2020年の東京オリンピックに向けて、日本を世界に発信するというイベントだ。歌舞伎、能、狂言、文楽、太鼓、雅楽などの伝統芸能をはじめ、一連の映画上映、現代アート、エッフェル塔の日本人アーティストによるライトアップ、ルーブル美術館のピラミッドには金色のオブジェなど多岐にわたる。私の滞在中にちょうど皇太子殿下がパリにいらして、歌舞伎と伊藤若冲展を鑑賞なさった。この時期、この二つが鑑賞可能だったので、私もこの二つを鑑賞した。歌舞伎は中村獅童と中村七之助。どちらも若手ながら、流石の演技。若冲展はもとは相国寺にあって今は宮内庁三の丸尚蔵館が所蔵する「動植綵絵」と「釈迦三尊像」

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ルーブル美術館ピラミッドの金色のオブジェ。

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伊藤若冲展はプティパレで行われていた。「動植綵絵」は絵のサイズが大きなシリーズで、色彩の美しい細密な描写の絵だから、日本人ばかりでなく海外の人に受けると思われる。この中に有名な鶏の絵と、鳳凰の絵が含まれている。思いの外、沢山のフランス人が見に来ていた。それでも、日本でやる若冲展が大変な人出だったことを思えばはるかに見やすい。

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松竹歌舞伎はシャイヨー国立ダンス劇場に見に行った。客席は満員。和服の日本人の割合は日本の歌舞伎座よりも多い気がした。ただし日本人は1割もいなかった。
「色彩間苅豆 かさね」は後半に怨霊と化したかさね役の七之助の舞に凄みがあった。

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「鳴神」も後半の獅童の荒事に感心した。実は「鳴神」は5月に歌舞伎座で海老蔵が5役演じたのを見ている。その時に比べると、演目の面白さは何分の1じゃないだろうか。獅童はとても健闘していて、それには拍手なのだけれど、容姿がちょっと小ぶり。愛之助の「国姓爺合戦」を見た時もそう思った。やっぱり荒事は海老蔵がすごい。あとは舞台が歌舞伎座ではない、演じる人間が限られている、客席の反応の勝手が違うなど、海外で歌舞伎を上演することの困難さも感じた。それでも歌舞伎の良いところを感じとってもらえたらと願った。
実はこの演目2つは1986年に片岡孝夫(仁左衛門)と坂東玉三郎がパリで演じた衝撃の公演だったという。たしかにその2人の組み合わせは衝撃だったかもしれない。その数日前にオランジェリー美術館のモネの睡蓮の部屋でおっとりと鑑賞なさっている片岡孝夫さんの姿を拝見した。この方には獅童にはない色気があるから、この方が演じたらちょっと違うものじゃなかったろうか。先代の記録映画が上演されるのはまだ先のことだから何のためにと思っていたら、この公演に立ち会うためにパリに来ていたのかもしれない。
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藤田嗣治の残したもの パリ

2018/09/16 12:00
藤田嗣治の家の近くに、彼の家よりちょっと小さな家がある。案内してくれた女性によるとチャーチマンの住まいだったそうだ。

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今はそちらに藤田に関するものが展示されている。

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夫妻の写真。君代夫人は嗣治亡き後、ここに住み続けた。

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夫人のために作ったそろばん。

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夫婦の住んでいた家。

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ミニチュアの家。

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どういうことかわからないこれど、かつらがあった。

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藤田嗣治のアトリエの聖母子像 パリ

2018/09/16 12:00
3階は藤田嗣治のアトリエになっている。

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ここで目を奪われたのは、壁に描かれた聖母子像である。

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愛らしいイエス。

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マリア。

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イエスの壁画。

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キャンバスにかかっていた絵。

藤田嗣治はこのアトリエを自らの教会として、壁画を描いたように思える。「この家の隣、今は藤田にちなんだものを展示している小さな家にはチャーチマンが住んでいました。けれど近くにある彼の教会に藤田の壁画を描いてもらうのは彼の方針ではありませんでした。藤田の壁画のある教会は遠方にあります。」と案内してくれた女性が英語があまり話せないと謙遜しながら説明してくれた。藤田嗣治はフランスで有名ですかと尋ねると、「有名ではありません。夫人は藤田の絵を公開したがらなかったのです。でも数年後にはここに彼の美術館を建てるために私達は動いています」

そんな日が来たら、ここは藤田嗣治の、あの愛らしいイエスに会うための聖地になるかもしれない。

出来たら将来、ランスに行って、藤田嗣治が壁画を描いた教会を見てみたい。
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藤田嗣治の家 パリ

2018/09/16 11:00
2階が道に面していて玄関になっている。

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玄関の横には藤田嗣治が着用していたコートがかかっていた。

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ベッドルーム。

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家の前はゆるい斜面になっていて広々としている。ただし、彼がこの家を所有していた当時の敷地は、家の周りだけだった。

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この日は、フランスの博物館がさまざまな催しをする日で、人々が自由に参加できる日だった。こちらでは4つテントを張って、折り紙、日本の漫画の描き方、ガラス瓶の絵付け、そして茶道の4つの催しをやっていた。ここに来た人達は藤田嗣治の展示を見に来たというより、催しに来た人達のようだった。

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茶道体験を皆さん、じっと見学していらっしゃる。
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藤田嗣治の終の住処 パリ

2018/09/16 10:23
ウイークデーはミュージアムパスと地下鉄を使って、せっせと歩いたけれど、週末はモネの庭と藤田嗣治の終の住処に連れて行ってもらった。

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ジベルニーのモネの家に比べると可愛らしい。藤田嗣治が70歳を過ぎてから、7年間を君代夫人と暮らした家だ。

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道路の方から見ると2階建だけれど庭の方から見ると3階建になっている。

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ここには藤田が手作りした色々なものがある。

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藤田嗣治の作った皿。

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十字架のイエス。彼はカトリックの洗礼を受けている。

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彼はミシンを使ってカーテンやテーブルクロスも作った。

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可愛らしいものもつくっている。

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1階がキッチンとダイニングルーム。

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台所からは夫婦の生活ぶりが伺える。

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1960年代の炊飯器とジューサーもある。

藤田嗣治は生活の色々なものを手作りしている。そうして生活を大切にしている。多分若い頃は大変な日々だったろう。年取ったらから、パリの街中から離れて小さな村で住む気になったのだろう。2回の大戦を生き、5回も結婚し、最後に君代夫人と会った。やっと生活を楽しめるようになったのだろう。

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ミュージアムパスで巡るパリ

2018/09/15 06:58
この6日間せっせとミュージアム巡りをした。パリには見たい美術館が沢山ある。平日は1人だから勢いに任せて歩いたわけだ。それに6日間74ユーロ、1万円弱のミュージアムパスで主要な美術館にほとんど行けるというのも後押しした。これがコペンハーゲンの時は24時間で8000円だった。チボリ公園まで行けばもとが取れたのに叶わなかった。パリではつい一生懸命歩き廻り6日間で14箇所、140ユーロ分回った。こうなるともうゲーム感覚。あと1山残している100名山みたいなものだ。いや、ちょっと違うか。共通しているねのはとにかく歩き回ると、私なりに見えてくるものがあるということ。
パリは街の美しさ、芸術性の高さ、歴史の深さからして世界一じゃないだろうか。比べるとするとロンドンだろう。ロンドンには大英博物館があるけれど、美術館で思い浮かぶのはナショナルギャラリーぐらいだ。ローマは古代ローマ帝国とバチカン、そしてルネサンスの偉大な歴史があるけれど、現代の都市としては重要ではなくなった。アメリカは歴史が浅い。アジア・アフリカ・中南米はほとんどヨーロッパに征服されていたから、その影響下にある。

アメリカ、アジア、アフリカ、中南米を出したから触れておくと、パリの豊かな街並みはどこから来ているのかだ。かつて小田実はヨーロッパの富は世界を侵略してもたらされたと書いていた。そして今パリには多くのアフリカ人がいるけれど、下層の仕事しかやっているように見えない。パリにテロが多いのもその辺りから来ているのじゃないか。今や空港ばかりでなく、そして美術館など公共の施設ばかりでなく、個人の店でさえ持ち物検査をしてから入って行くのだ。パリの人たちは日本人と全く違う。日本人は人を警戒しないし、和をもって尊しとして、微笑みの国だ。それに対してパリの人達は個人の意識がはっきりしているように見える。

これからの世界のパワーバランスは変化して行くだろうから、パリの地位も変わって行くだろう。実際、パリで過ごしていると、古い街の持つ不便さも感じる。

ミュージアムパスで歩く話から違う方向に行った。というか、歩き廻りながら文明について考えたわけだ。

ところでパリのmuseumで写真がダメという所は一つもなかった。とてもいいことだと思う。そして私も沢山写真を撮ったから、ブログに載せるといっても収拾がつかない。
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中世美術館 パリ

2018/09/12 03:28
カルチェラタンのパリ大学近くに中世美術館がある。

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クリュニー修道院のあったところだ。

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15世紀に織られた「貴婦人と一角獣」のタペストリー6枚の展示が白眉だ。

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どんぐりを付けたイングリッシュオークのような樫の木。ウィリアム・モリスはこういう所からヒントを得ているのだろうか。

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小動物も鳥も植物も描かれている。

15世紀にこんな美しいものを作っていたなんて、驚きだ。うっとりしてしまう。

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ロダン美術館

2018/09/12 02:59
庭からは先程行ったアンバリッドのナポレオンの墓のドームが見える。

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庭には上野の国立近代美術館でお馴染みの作品がある。

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「考える人」

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「地獄の門」

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「カレーの市民」

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一番惹かれたのは、この彫刻。

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ロダンの風貌はとても立派。そしてロダンの彫刻は足も手も大きいし、体も力強い。

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ゴッホと浮世絵と言うと出てくる「タンギー爺さん」をロダンが所有していたとは知らなかった。

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