アクセスカウンタ

マルハナバチのつぶやき

プロフィール

ブログ名
マルハナバチのつぶやき
ブログ紹介
信州の週末田舎暮らし、植物、昆虫、旅行、山歩き、自転車旅の記録です。そして歴史歩きも。
Bumblebees' Garden in English
zoom RSS

チビのチューリップ

2019/03/23 15:09
東御では桜の開花は1ヶ月も先だろうし、チューリップもスイセンもまだまだ。ところがチビのチューリップだけは咲いている。

画像

オランダから帰る時にいつもチューリップの球根を買って帰る。たいがいは黒か青にする。ところが3年前に買った黒のチューリップが咲いてみたら、出来損ないみたいに背が低くて赤色だった。業者が間違えて、あるいは故意に入れたのかと腹立たしかった。

チューリップは、よほど上手に育てないと翌年は咲かない。従って私のチューリップは翌年は葉を出すだけか、花をつけても弱々しい。ところがこのチビチューリップは翌年も花を付けた。そして今年も、花を付けている。しかも、通路の横のザラザラしたところで、手入れもしていない。

普通チューリップは花の下が長い。高校の時にはチューリップというあだ名の教師がいたぐらいだ。ところが、この赤いチューリップは花の下がやけに短い。こういうの、ちょっと目にしない。かくして、今年は妙に貴重で可愛く見えてきた。

記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 1


今日は満月

2019/03/21 22:08
八重原台地に登る車中から見る月は大きかった。

画像

調べたら今日は満月。1ヶ月前に日光湯元の露天風呂から見た月はスーパームーンだった。湯舟に浸かって雲に隠れたり姿を現わす月の姿をしばらく見ていた。あれから1ヶ月経っても月の姿は大きい。

昔は電気の灯りなんてなかったから、月が有るか無いかは大きな違いだったろう。以前ネパールを歩いていた時に次の村に着く前に真っ暗になった。月の無い日だった。でもそのあと行ったランタン谷では、月の明るい時にあたり、6000mの山々がハッキリと見えて、神々しかった。あの時初めて新月と満月の違いを知った。

かつて日本の暦は太陰太陽暦で月の満ち欠けに対応していた。考えて見れば月の満ち欠けは日常生活に大きく影響していたのだ。花鳥風月と言うぐらいだから、月は鑑賞の対象でもあったのだ。

数年前に白山に登った時に、早朝歩き出したら、間も無く下っくる地元の老人に会った。今朝早く山頂を出たのですかと聞いたら、月が明るいので家を夜出て登り、今下りだと言う。私は日の落ちた山は恐ろしいとばかり思っていたのに、この方は月明かりの山歩きを楽しんでいらっしゃるのだ。私の感性は随分退化していると感じた。3月21日。
記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 3


桑田佳介 「ひとり紅白歌合戦」

2019/03/20 23:14
4ヶ月ぶりの東御。今までこんなに長く来ないことはなかった。長い冬の夜、ハナが付いてこないこちらで一人で過ごす気がしなかった。でもいよいよ春だ。友人が来てくれて、今日は一緒に夫神岳に登った。夜、チューナーを使って、iPhonesにテレビが繋がるよう設定してみた。
繋げると、まさにNHKで桑田佳祐の「ひとり紅白歌合戦」をやっているところだった。「Act Against AIDS 」の一環でこの10年で3回公演し、170曲をカバーしたという。彼のイメージはロックというかJポップと言うのか紅白や歌謡曲からは距離を置いているイメージがあった。彼自身もかつては歌謡曲に興味が無かったようだ。それが、大衆音楽の偉大な歴史に気づき、「ひとり紅白」て歌いつぐ気になった。歌ってみると、それらの歌のもつものが理解でき、桑田佳祐にとっても新境地が拓けたという。

画像


北島三郎、美空ひばり、前川清、いしだあゆみ、南こうせつ、イルカ、沢田研二、井上陽水、ユーミン、中島みゆき、寺尾聡、山口百恵、ちあきなおみ、グループサウンズなど次々に桑田佳祐流に歌う映像とともに、番組では歌手や歌への想いを語っていく。これら私も納得の歌手ばかりでなく、和田アキ子だのクレージーキャッツ、ドリフターズなども高く評価していて、私もそんな気になってくる。

お陰で私もすっかり演歌・歌謡曲を再評価する気分になった。そしてお休みを頂いている歌の先生のところに行って再開しようかと思った。でもその前に、桑田佳祐みたいに、自分流に歌いこむ姿勢を作りたい。



記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2


新倉山浅間神社

2019/03/16 15:54
富士山麓旅行の最初は、新倉山浅間神社。最近こちらの忠霊塔であるところの五重塔、咲き誇る桜、そして雪をいただく富士山の写真をよく見るようになった。何しろミシェラン のグリーンガイドジャパンの表紙にも採用されている。

画像

インスタ映え効果のせいか、外国人ばかりか日本人も増えたようで、駐車場に至る狭い道ではすれ違う車に気を使う。麓の新倉山浅間神社にお参りしてから、整備された急な階段を登る。斜面一帯にさくらが植林されている。

画像

五重塔が忠霊塔とは理解に苦しむものの、神仏分離の影響を受けた結果と推定される。それにしても寺院の五重塔ではないというのはなにがしか虚ろだ。

画像

忠霊塔の後ろの段の上が写真スペース。



記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2


大崎の芳水小学校

2019/03/09 22:27
目黒雅叙園から目黒川沿いに五反田まで歩く。

画像

目黒川沿いは桜の木が続いていて、開花はあと3週間ぐらい後か。国道1号に出て、さらに大崎駅の方向に向かう。大崎は私が幼稚園から小学校3年生までの4年間を過ごした所だ。途中、大崎警察署がある。通りかかると囚人の護送車らしい周りを網で囲った車をよく見かけた。それから大正大学。学生たちがやっていた日曜学校みたいのに時々通った。五反田にマーケットがあって、買い物かごを下げて買い物に行く母に飼い犬みたいに毎日ついて行ったものだ。あの頃の目黒川はとっても汚かった。

画像

大崎陸橋の下の社宅に住んでいた。そのころには、陸橋から降りて来る階段があって、道を挟んだ建物の片隅に住んでいた。

画像

この建物に企業の名前が残っていた。あのころは石炭を扱っていて、こちらの会社の景気が良くて、父の勤務する会社を子会社にしていた。今は建物だけのようだけれど、広い敷地があって、石炭置き場があった。

画像

大崎陸橋の上に立ってみる。周辺に高層の建物が並んでいる。

画像

昔は、よく橋の上に立って貨物列車が何台の貨車を連ねているか数えたものだ。多いので40台ぐらいだった。蒸気機関車が黒煙を上げてやってくると、その煙の中に入って喜んでいた。

画像

社宅のそばに小さなパン屋があった。そこのたっちゃんは私と同学年で、親同士が仲良くなったので一緒に幼稚園に通うことになった。当時は子供だけで幼稚園に通ったのである。でもたっちゃんは、ものすごく動きがゆっくりで迎えに行くといつも待たされた。この後、いつも遊んでいた方向に歩いていく。この辺りは登りになっていて、右手にお墓があり、まわりが原っぱで良く遊んだものだ。今は見事に整備されている。

画像

寄木神社の階段。

画像

寄木神社の境内でもよく遊んだ。今はとても綺麗な神社になっているけれど、かつては古ぼけた神社で、境内もコンクリートで固められてはいなかった。

画像

思えば、この半世紀でテレビはボケた白黒画面から、クリアーなカラー画面になった。そんな風に都会の風景も一変した。原っぱだの水たまりだの、管理が届いていないものがなくなってしまった。そして外で遊ぶ子供の姿が消えてしまった。

画像

寄木神社を出て、芳水小学校の裏をかすめて、大崎幼稚園に行く。どこも道路が狭いし、極めて狭い範囲にすべてがある。子供のころは道路も広く見えていたし、もっと広い世界で行動しているつもりだった。

画像

深谷のはずれから上京して、入ったのが大崎幼稚園。私の父も母も、どちらも50歳の恥かきっ子として生まれていて、さらに私は末っ子だから、いとこはすべて年上。一番上のいとこは父と同じ年。その全て年上のいとこの誰も幼稚園に行っていないから、私がいとこの中で唯一幼稚園に行ったことになる。私の幼稚園入園はなかなか苦労の多いものだった。田舎から出てきて、突然幼稚園に入ったのだから、都会っ子のスピードにはついていけなかった。それに無菌のところから雑菌の繁殖する都会に放り出されたのだから、次々に伝染病におかされた。

画像

3年間通った芳水小学校は改築中だった。近くに明電舎があり、その社長夫妻が小学校を作って寄付した、社長の名前を取って芳水小学校と命名されましたと、何度も聞かされていた。最近創立100周年を迎えたらしい。

画像

工事中なので横に臨時の入り口がある。よく見ると、関係者以外は入れないように門扉があり閉まっている。今や小学校は近所の人が散歩しながら敷地に入るなんて時代じゃないのだ。芳水小学校は外部のものを全く寄せ付けず、昔を懐かしむなど思いもよらない雰囲気。家に残る入学式の記念写真に写っていた桜の木も、外からはうかがえない。

画像

でも小学校の横にある品川区立大崎図書館の入り口にある少女像が目に入ってきた。

画像

これは校舎の後ろの崖の下にあったブロンズ像ではないか。小鳥を抱く少女には見覚えがある。図書館に入って像のことを聞くと、芳水小学校の改築にあたって、臨時にここにあるのだという。この日、唯一会えた昔のもの。胸が熱くなった。昔のものに会えるとどうしてこんなに嬉しいんだろう。

画像

少女像の下にはこんなプレートがある。

 4年生の時に浦和に引っ越して今も住んでいる。そうすると大崎・五反田はほとんど通らないし、行かない。だから大崎に行ったのはこの半世紀余りで2回目だ。あの頃、時々繁華街に行くとすると、それは戸越銀座だった。電車で行くとすると渋谷だった。駅前にあったのは東横デパートだったろうか、その入り口にはいつも何人かの白服の傷痍軍人が楽器を演奏して、お金を集めていた。今思えば終戦からそれほど時間がたっていなかったのだ。
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2


百段雛まつり

2019/03/08 00:07
目黒にあるホテル雅叙園の百段雛まつりを見てきた。百段階段は旧目黒雅叙園にあった、唯一残ってる建物である。

画像

実際には99の階段があり、途中に趣向を凝らした豪華な部屋が7つある。今回はお雛様というよりも、建物自体に興味があった。何しろ「千と千尋の神隠し」の舞台である。

画像

画像

部屋そのものを鑑賞するなら、展示がない時の方がいいかもしれない。お雛様が飾ってあると、部屋そのものが隠れてしまうし、照明が暗い。(写真は案内書より)

画像

今回のお雛様は青森、秋田、山形のもので、北前船の往来がこの地に富と京の文化をもたらしていた。この写真は酒田のもので傘福というつるし雛が見える。圧巻だったのは紅花で栄えた河北町の古今雛。

画像

画像

お雛様を見てからホテル雅叙園のエントランス部分を歩いてみる。こちらも、豪華な空間。

画像

噂に聞いていた豪華なトイレを見つけた。

画像

中に入ると朱塗りの橋。

画像

天井絵。

画像

画像

画像

個室の中まで撮るのってどうなんでしょうね。
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 4


奄美大島に行って自衛隊の南西シフトについて考えた

2019/03/06 06:00
 奄美大島の瀬戸内町で元自衛隊の人から、その日近くでミサイル基地の開所式があることや、自衛隊の南西シフトの話しを伺ったので、帰宅してからそのあたりのことを調べてみた。自衛隊や在日米軍の動きはごく大まかにしか理解していなかったけれど、実際に展開しつつあるところに行ってみれば、動きが身近に感じるものだ。これを機に自衛隊の南西シフトについて考えてみたい。というか、理解したことをまとめておきたい。

  大戦中、奄美大島には様々な施設が展開していた。中でも奄美大島と加計呂麻島の間の大島海峡沿いはリアス式の多くの入り江に恵まれていて艦船の絶好の寄港地であった。瀬戸内町古仁屋の旧陸軍弾薬庫を見たが、連合艦隊の停泊地であった加計呂麻島の薩川湾の防衛のために、海峡沿いには旧日本海軍の砲台が多数設置されていた。また薩川湾の奥には、島尾敏夫が大戦末期に特攻隊長だった基地もあった。

 それらは70年以上前のことである。ところが今、再び奄美大島は自衛隊の南西シフトによってさらに軍事施設が作られつつあるのだ。
画像


 従来から奄美大島には奄美空港近くに奄美大島分屯基地(航空自衛隊那覇基地の分屯基地・奄美市笠利町にあり通信基地)と、瀬戸内町古仁屋の奄美基地分遣隊(海上自衛隊佐世保地方隊の分遣隊・20人規模)の二つがあった。
画像

奄美大島分屯基地(航空自衛隊)↑

画像

奄美基地分遣隊(海上自衛隊)↑

  ここに今年3月陸上自衛隊の基地が二つ開所する。奄美駐屯地は奄美市大熊地区のゴルフ場の一部の35ヘクタールの土地に作られている。警備部隊230人と対地空ミサイル運用部隊60人をふくむ350人規模。
画像

奄美駐屯地(陸上自衛隊)↑

 もう一つは瀬戸内分屯地で、瀬戸内町節子地区の町有地30ヘクタールの土地に作られている。警備部隊130人、地対空ミサイル部隊60人を含む210人規模。
画像

画像

瀬戸内分屯地(陸上自衛隊)↑

 奄美大島に2つの陸上自衛隊の基地が出来たのは自衛隊の南西シフト体制の一環である。(図は産経新聞)

画像

 陸上自衛隊は、ここにきて奄美大島だけでなく、沖縄本島、宮古島、石垣島、与那国島に新たな展開をしている。また、奄美大島から喜界島が見えたけれど、そちらにも360度全方向から受信可能な通信所がある。

 今年1月9日のNHKでは防衛相が開発会社から馬毛島を160億円で買収契約をしたと報じた。馬毛島(まげしま)は種子島から12キロで、1959年にはトビウオ漁に従事する113世帯528人が住んでいたが、1980年には無人島になっている。くだんの元自衛隊員さんによれば馬毛島は在日米軍の空母艦載機のタッチアンドゴー(FCLP)の島になるという。在日米軍の航空母艦ロナルド・レーガンは横須賀基地を母港としている。その際、艦載機は入港前に厚木飛行場に移動していた。そしてFCLPは硫黄島で行われていた。しかし2018年3月から艦載機は厚木ではなく岩国に移動した。馬毛島は岩国から400キロの好立地である。厚木から硫黄島間の1200キロよりはるかに近い。そして岩国は佐世保の米軍基地にも近いのであり、そちらがもっと活用される可能性がある。今までは佐世保の近くにFCLPをする場所がなかったのに、それが可能になるのだ。とすれば米軍も北ではなくて南西シフトしているのだ。

 2018年3月には佐世保を駐屯地とし、南西諸島の防衛態勢を強化する一環として水陸機動団が発足している。これは上陸作戦を専門としており、日本版海兵隊といえる。現在の隊員数はおよそ2100人で、将来的には3000人規模に増やす予定。海上からの上陸時に使うのは、水陸両用車で、1両の値段はおよそ7億4000万円。陸上自衛隊は合わせて52両を導入する計画。

 さらに考えてみれば、海上自衛隊最大の護衛艦「いずも」全長248mには新たに購入するF35戦闘機を艦載するのであるが、馬毛島で訓練する可能性もある。

 さて、奄美大島は自衛隊基地が増えた。しかも今後拡大できる規模の施設である。これに対して住民はどう思っているのか。もちろん反対する勢力はある。しかし自衛隊を誘致し、歓迎する姿があるのだ。2018年12月4日の南海日日新聞には鎌田愛人瀬戸内町長が防衛省で岩屋毅防衛相と面会し、艦艇配備と基地拡充を要望しているのである。

  瀬戸内町の加計呂麻島の人口統計を見ると、この40年ほどで人口は6分の1にまで減っている。瀬戸内町長は自衛隊の誘致だけでなく大型クルーズ船の誘致もしている。日本全体が来るべき人口減への対処を迫られているけれど、まして離島にとって、これは大変な問題で、できる限りのことをしたいのが心情だと思う。


 


記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 4


田中一村終焉の家

2019/03/05 07:00
名瀬の中心部から車で10分ほどの市街地のヘリ、山にかかるところに田中一村終焉の家がある。

画像

 こちらも管理している人がいない。

画像

  家に近づくと、だいぶ傷んできているのがわかる。

画像


画像

画像

  隙間から中をのぞくとまだ畳がある。

画像

  庭は一村がいたころの面影を伝えているのだろうか。柑橘類がなっている。 

画像

 すぐ上にかつては、耕されていたらしい部分がある。

画像

 一村の絵に登場する植物がいろいろ見られる。これは芭蕉の実か。
 
 後で調べてみたら一村はこの家に引っ越して10日目に夕食の支度をしていて心不全で亡くなっていた。もとは一村が奄美に来て最初に住んだ国立療養所奄美和光園の近くにあったものをここに移築している。庭の木も一村会の人々が植えたという。



記事へナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 2


奄美大島西海岸

2019/03/04 07:00
  奄美大島南端の瀬戸内町古仁屋から西海岸を北上して名瀬をめざした。国道はなだらかな東側を通っていて、前の日はそちらを通った。東海岸はリアス式入り江が深く入り、山が急峻で、海岸沿いが急峻で道路がないところは山の中に入り、道路がついて入れば海岸沿いを走るというのを繰り返す。大島全体に新しくてきれいなトンネルが沢山整備されているものの、上り下りは結構ある。

画像

 大和村の今里という集落に向かって下っていく。山が迫っていて、その先の海岸には幅よりも高さの方があるような丸い島が見えた。地図を見ると立神という名がついている。いかにもニライカナイからやってきた神が降臨しそうな姿。

画像

 今里の集落まで下りきって、今度は海岸沿いに登って振り返ってみる。

画像

  さらに海岸沿いを行くと、素晴らしい景色が見えた。右側は陸繋島になっていて、その左側にあるのがヒエン浜。案内板にはサーフィンの絶好のポイントとある。なるほどヒエン浜の部分にだけ白波が見える。陸繋島の向こうに先ほどの立神が見える。

画像

 このあたり、遠くから眺めるだけでなく、滞在するのも良さそう。

画像

 この写真は翌日飛行機から撮った空港近くの海岸。奄美大島についた日に、裾礁が発達した海岸で貝殻を拾ったりして、なんてのんびりした島だと思ったけれど、平たんなのは北部だけ。後はほとんどが山がちなのだった。

記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 5


旧陸軍弾薬庫跡

2019/03/03 22:30
シュノーケル体験が終わって上陸すると、案内して下さった方のお友達が陸に居た。同行者が上陸準備している間に、この方とお話をする。海上自衛隊を退職して15年ほどたち、対潜哨戒機に乗って厚木にも居たということで、国防関係のお話を伺う。現在、古仁屋の陸上自衛隊の基地に居るのは10数人だけ。でもこちらにミサイル基地が出来、今日は開所の祝典があるので今から行くという。歓迎のために、これを用意して来ましたと、大きな日章旗を見せてくれた。自衛隊は今、北海道方面から南にシフトして来ているという。

島尾敏雄が加計呂麻島の特攻基地に配属されていて特攻の命令が出たのに2日後終戦になって生き残った。そこでしりあった女性と結婚し、後に「死の棘」を書いたのは頭にあった。でも、奄美大島が戦時中の作戦上、どのように展開していたのかは知らなかった。ただこの後行った瀬戸内町の資料館には奄美大島で、各地区の空襲で焼けた家と犠牲者数の地図があった。数はそれほど多くないものの島全体に被害者がいた。つまり島全体に軍の施設があったようだ。特に加計呂麻島と奄美大島の間の大島海峡はリアス式の入り江が多く絶好の拠点となった。

画像

  古仁屋の町から10分ほど海岸線を北上して旧陸軍弾薬庫跡を探した。海岸沿いの道路から細い道を入り、大島自動車学校の左側の山の際にあった。入り口に案内板があって、中に入れる。

画像

 最初明かりのスイッチがあるのに気が付かず、真っ暗の中を恐る恐る進んだ。

画像

 早々に戻ってきたら明かりのスイッチがあるのに気付いた。管理する人がいないのに自由に入れるのは珍しい。

画像

 とてもしっかりした構造だ。

画像

 一番奥に弾薬庫の部屋がある。かなり大きいし、しっかりした出来である。規模・構造とも日本で最も優れた施設であったと記されている。松代の大本営や沖縄の地下壕がほとんど部屋のようなものを持たず、通路だけで出来ているのとは大違い。これだけの部屋だったら大量の弾薬を貯蔵出来たろう。ただし住民は一切気づかず、終戦後になって大島海峡に弾薬が放棄されているのを見て、初めて弾薬庫があったことが分かったという。

画像

 通路を行くともう一つ同じぐらいの大きさの弾薬庫があり、もう一方の出口がある。

画像

  もう一方の出口から出た。3月1日
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 3


加計呂麻島を望んでシュノーケル

2019/03/02 21:16
奄美大島の一番南の方の瀬戸内町古仁屋に行く。小さい町ながらファミリーマートと農協スーパーがあって便利、そして元からの商店もあるので、加計呂麻島の黒糖だの、黒糖入りよもぎもち、タンカンだの買うことができた。宿には山田洋二監督の色紙が何枚も飾ってあった。聞けば監督は寅さんシリーズの最終回をここで撮って以来毎年のように何人もでやってきて宿泊するのだという。映画の前のテレビシリーズでは確かこの辺りで死んでしまい、死んでもらっては困るというファンの声で生き返り、映画のシリーズになったのであり、死んだのはここであった。


画像

画像

古仁屋は大島海峡に面していて、向かいは加計呂麻島。海峡の両側はリアス式の海岸だから沢山の入江がある。古仁屋から急な道を登って高知山展望台に行った。曇りがちで徳之島までは見えなかったけれど、加計呂麻島がよくみえる。

画像

シュノーケル体験に行くために待っていたのはヨット。

画像

ヨットでもエンジンが付いている。中には小さいけれど炊事場があり、トイレも付いている。案内して下さったのは大阪出身で、奄美大島に来て20年の方。前日まで冬休みを取っていて、5週間アフリカ南部を旅行していたそう。

画像

この方が、次の日には水中の写真と動画を送って下さった。ダウンロード上手くいかず、これはスクリーンショットしたものだからだいぶ画質がおちている。

画像

移動して嘉鉄という湾でシュノーケルをした。様々な珊瑚がある。そして魚が沢山いる。今まで奄美大島の珊瑚礁の海のことを知らなかったけれど、ここは世界レベルの素晴らしいところに思える。

画像

海の中を見るのは素晴らしかったけれど、間も無く私は海酔い状態になり、早々に船に上がる。同行者がもう一度トライしている間にウェットスーツを脱いで、上陸準備。この後ヨットでクルーズしますかのお誘いにも、乗らず。でも、この辺りの珊瑚礁と色鮮やかな沢山の魚を見たので、大満足。3月1日
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 3


大島紬の織りと泥染め体験

2019/03/01 08:09
田中一村記念美術館を出て、奄美大島紬村に染めと織りの体験に行く。

画像

園内に入ると、まず大島紬の工程を案内してくれる。こちらは染めに使う泥田。日陰ヘゴが印象的。

画像

染色ではシャリンバイの木を煮出してタンニンを抽出した液を使う。

画像

シャリンバイの液につけるのを20回繰り返し、泥田につける。こちらは鉄分を含んでいるから、媒染液に浸す効果になる。ここまでの工程を4回繰り返すから、合計80回シャリンバイの液に漬けることになる。こうして独特の黒色を出す。

画像

次に場所を移動して織りの工房を見学。大島紬紬は縦糸と横糸それぞれ先染めする。従ってまず一度、綿糸を使って織り、染める。次に本織りするわけだから大島紬は二度織りする事になる。

画像

色々な色を入れた状態。黒以外に藍や、赤も入れるようになったのは近代に入ってから。

画像

田中一村はこの染色の工程をやっていたそうで、ただし彼の頃には染め液を入れるチューブは無くて、皿を使っていたという。

画像

泥染め体験を終了して、お昼は鶏飯を食べに行く。

画像

午後は織りの体験。つきっきりで指導して下さったこの方は伝統工芸士の資格を持っていらっしゃる。織りの体験はこれで4回目。やる度に一から教えていただいて、今回も慣れるのに時間がかかる。

画像

こちらで良かったのはざっくりと織るのでなくて、細い糸でかっちりと織って行くこと。横糸を何色か自分で選ぶ。いつも通り、紫系とする。絹の光沢は特別。今、生糸はブラジルから来ているという。

画像

そばの機織り機には織りかけの大島紬がある。少しずつ織っては模様を合わせていくそうで、染めから織りまて、本当に大変な工程である。

画像

ホテルに戻り、仕上げた作品を見る。泥染めはシャリンバイ液と石灰を入れた液に漬けるのを3回繰り返した。それから泥田に入って浸す。泥田で出来上がった状態はまだピンクに染まったぐらい。でも最後に係の人が濃い色の液で煮出したらすっかり染まった。実のところは最後の工程で染まったのじゃないか。

画像

画像

織りもしみじみ見る。2月28日


記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 4


田中一村

2019/02/28 22:36
奄美大島に行きたかったのは田中一村の存在が大きい。田中一村の絵ばかりでなく、彼の描いた自然も見たかった。

画像

奄美パークにある田中一村記念美術館は、とてもセンスの良い建物だった。

画像

高倉をイメージしたものを、いくつか連ねて展示室にしている。

画像

東京時代、千葉時代、そして50歳から69歳まで過ごした奄美大島の時代。お金を稼ぐ為ではなく、真に自分の描きたいものを目指し、大島紬の染色の仕事をしては絵に打ち込むお金を貯めた。だから絵に集中出来た年数は6年ほどしかなく、この間の作品は30ほどという。そうしてみると、こちらの美術館にこれだけコレクションがあるのは充実している。奄美時代、そして千葉時代に描いた植物の絵が素晴らしい。その詳細な描き方がちょっと伊藤若冲を思い出させる。けれど若冲が派手で、前に出る感じがあるのに対して、田中一村の作品は落ち着いた感じがする。昨年はパリでジャポニズムが特集され、その中に私もパリで見た伊藤若冲展があった。そして今回知ったのは、ジャポニズムの一環で田中一村展もパリで行われていたのだ。この後、田中一村も若冲がそうであったように、急に注目度が上がる気がする。
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2


奄美大島の貝殻

2019/02/28 07:42
朝起きて、昨日拾った貝殻を見る。
画像

宝貝。

画像

裏から見る。

画像

巻貝など。

画像

珊瑚。

画像

レースみたいな繊細な珊瑚。2月28日。今日で2月終わり。
記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 4


奄美大島に来ました

2019/02/27 21:23
今年初めての飛行機。このところ寒い思いをし、風邪もひき、花粉症にも襲われつつあるので奄美大島に行くというのは、いい気分。

画像

空港で本を2冊買う。井沢元彦の「学校では教えてくれない戦国史の授業」と桜井識子の「京都でひっそりスピリチャル」。バニラエアの飛行機でクリームパンとコーヒーのセットをいただきながら、半分寝て、半分本を読み、曇りで視界が開けなかったけれど、あっという間に奄美大島に着いた。

画像

本日の宿は空港近くのコーラルパームスというリゾートホテル。何しろLCCで飛んできたのだから、1日目はホテルにたどり着いて終わりの時間。

画像

前に続くビーチを歩いてみる。人がいない広い海岸。海に向かって珊瑚礁が広がっている。ところどころ岩礁があり、干潮なのでそばにあるのは渡れる。

画像

6時でもまだ明るい。ここは埼玉より西である。

画像

珊瑚礁のかけらだの、貝殻が落ちている。そうなると、どうしても拾わずにいられない。場所によって落ちている貝殻の種類が違う。私の目当ては宝貝。

画像

ホテルの敷地に戻ると、山羊がいた。

画像

小型だけれどツノがあるからもう大人か。

画像

蘇鉄だろうか、まだ小さい木に取り付いて食べている。

画像

手前は子ヤギ。

画像

檻の中にも一匹。ヒゲが生えている。

画像

隣には鶏舎があって、平飼いの鶏が今しも小屋に入りそう。夜はちゃんと中で寝るのか。

画像

これはセンダンソウだろうか。奄美大島ではもう野の花が咲いている。

画像

ホテルの部屋に戻って、貝殻をすすいで干した。2月22日

記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 2


スーパームーンの翌日は千手が浜へ

2019/02/23 21:59
日光スノーシューの宿は毎回湯の湖畔にある国民宿舎。外で冷えた体には温泉泊というのは本当にいい。到着して一度、寝る前にもう一度、そして朝も入る。3回入った中で一番良かったのは寝る前で、露天風呂に入りながらスーパームーンを鑑賞した。黒雲と白雲が物凄い速さで右から左に流れていく。それに連れて大きくて明るい月がはっきり見えたり、雲に全く隠れたり、次第に姿を現しつつ神秘な光を放つ。このスーパームーン鑑賞は今回の山行のクライマックス。次の日まで余韻が残った。

画像

翌日は赤沼から歩き出す。

画像


画像

雪は少ない。

画像

全体に緩やかなコースの中で、高山峠からの下りに緊張するところがあった。この辺りやっぱり経験のあるリーダーがいないと難しい気がした。今回は7人のメンバーで、中に奥日光のガイドブックを作ったお2人がいて心強い。

画像

下りきって千手が浜に出た。

画像

画像

中禅寺湖の向こうに男体山が見える。

画像

小田代ヶ原を経て赤沼に戻る。本日のコースタイム6時間。2月20日

記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2


スノーシューで山王峠へ

2019/02/19 19:38
2月の奥日光スノーシューハイキング。

画像

山王峠まで行く。

画像


画像


画像

動物の足跡各種。

画像

アストリアホテル前まで戻ると、樹上に何者かがいる。

画像

猿だった。
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2


伏見稲荷 狐火

2019/02/10 15:37
10年ぶりの伏見稲荷。
画像

 前回行ったときは脊柱管狭窄症による間欠性跛行状態。腰を痛めていて、少し歩いただけで足腰が痛くなり歩くのがやっとだった。でも自転車には乗れたからクロスバイクを持参して京都に行ったのだ。その時に京都駅近くから自転車で伏見稲荷まで行ったものの、千本稲荷を通過して稲荷山の頂上に行くなどとても無理だった。それで今回はその雪辱を晴らすつもりで行った。
  
画像

 当時はもう普通には歩けなくなるかと思い、道行く人が普通に歩いているのを見ては歩けるのってすごいことだと感心していた。でもまあ私も2年ほどつらい時期を過ごした後、赤坂の前田病院で渡辺航太先生による内視鏡手術でよみがえった。今こうして歩けているのをとてもありがたく思っているわけだ。

画像

 前回来た時には拝殿前の狐の姿が印象的だった。何しろ入り口までしか行っていないのだから、そのあたりで目につくものといえば立派な狐の姿だった。

画像

 その時疑問に思ったのは、しっぽがなぜこんな形をしているのか。さすがお稲荷さんの総本山の狐は違うもんだと考えた。神職さんに聞いてみたがはっきりした返事がもらえなかった。それが今回は疑問が解けた。この宝珠みたいな形をしているのは狐火に違いない。安藤広重の浮世絵には王子稲荷に大みそかに狐火を焚いて関東の狐が榎の木の下に集まっている絵があったではないか。

画像

 今回よく見ると、この狐は口にも金色のものをくわえている。稲穂である。

画像

  今回は念願の千本鳥居を行く。最初は朝の鉄道駅通路のような混雑。中国から来た人が9割で、後の1割がそれ以外の外国人と日本人という感じ。でも間もなく人がまばらになった。

画像

 鳥居は登るにつれ下よりは疎になるものの山の頂上まで続いていて、とても千本という数ではない。

画像

 途中いろいろな神様が祀ってある。この石は稲荷さんがこちらに降り立った依代じゃないかと思い、後で確かめてみると、「おもかる石」という願い事をして持ち上げて軽ければ願い事がかなうという石の方が人気があるらしい。

画像

  登るにつれ、様々な社が現れる。
 
画像

画像

 いやあ、本当、こちらには神様がたくさんいらして、そしてものすごい信仰を集めています。しょっちゅう通っている人には、それぞれの神様のことがわかるレベルなのだろうが、私の場合とりあえず稲荷山の頂上まで登り、たくさんの鳥居を見たので満足。

画像

 稲荷山を越えて、京都周遊ハイキングコースと合流。今熊野方面を目指す。

画像

 山を下りて里に出ると、この看板が何枚も目に付く。京都で民泊やるのもいいかと考えていた時期があったけれど、今やこういうことか。

画像

 泉涌寺の塔頭、悲田院に出た。
 
1月31日
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 3


比叡山

2019/02/09 07:00
日吉大社の次に比叡山に向かう。出発は11時になってしまった。奥宮は後にして、先に比叡山に登っておけばよかった。数日前に雪が降っているし、私には初めての道なのだから、すこし緊張する。でもどうしたって行きたいところから先に行きたい。
画像

日吉大社の左横から登山道が始まる。

画像

登るにつれて、だんだん雪が出てくる。でもアイゼンをつけるような所はほとんど無かった。延暦寺まで1時間ちょっとの登り。

画像

中学校の修学旅行以来の根本中堂の建物。今は修理中ですっかり上屋で覆われている。それにしても入館料を払うところが無くて不思議な感じ。あとで境内の地図を見たら足で登って来ると、入山受付の内側に入ってしまうことがわかった。考えてみれば坂本ロープウェイも使わないわけだから、この日は随分お得に歩いたことになる。でも御朱印は頂きましたけど。

画像

内部の不滅の灯りの前で参拝してから、足場から根本中堂の屋根を見る。

画像

講堂。

画像

阿弥陀堂。

画像

このあと大比叡山の山頂848mを目指す。山頂から修学院離宮を目指そうかと思ったけれど、そちらにはほとんど足跡が無く、雪が深いので行きの道を取ることにした。頂上そのものは眺望も開けない。でも途中眺望が良いところがある。

画像

坂本に下ったのが3時半。滋賀院門跡に向かう。

画像

こちらは天海が最初に建設し、その後は延暦寺の座主が代々住まれたところ。江戸時代には天台座主は日光の輪王寺、江戸の寛永寺の座主も兼ねることが多かったのだから、当時の仏教界の最高峰がここにお住まいになっていたわけだ。

画像

唐破風の門がある。

画像

現在の建物は明治のもの。庭は小堀遠州作。

1月30日
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 3


日吉大社 奥宮のある八王子山

2019/02/08 07:00
  坂本から比叡山頂を目指す。前回、日吉大社に行ったのはいつだろう。あの頃よりもこの神社に対する思い入れがある。日吉大社は平安京の鬼門を守る延暦寺とともにあった。けれども廃仏毀釈では、日吉大社こそいち早く仏教を排したという。

画像

  湖西線で比叡山坂本駅に降り立ったのが9時。日吉大社に向かってなだらかな坂道を行く。穴太衆による石垣が美しい。このあたりは日吉大社に行く道であるけれど、比叡山延暦寺に行く道であって、そちらの門前町と言うべきだろう。

画像

 石には苔が生えている。

画像

  日枝大社に入り山王鳥居をくぐる。

画像

  まず大山咋神をまつる東本宮へ。次に大己貴神をまつる西本宮に参拝する。

画像

 それから奥宮のある八王子山 381mをめざした。

画像

 まずは西本宮の横にある牛尾宮遙拝所と三宮遙拝所の間の広くて段差の大きな階段を登る。じきに山道になる。
ここを4月の山王祭では両方の神輿を担いでおりるのだ。頂上近くなると琵琶湖の景色が見えてくる。

画像

  最後の階段を登る。 

画像

  その先に金大巌(こがねのおおいわ)が見えてきた。東本宮のご祭神である大山咋神が降り立った磐座なのだ。

画像

 右の建物が大山咋神をまつる牛尾宮。左の建物が三宮宮。

神社に奥宮とか磐座が有ると、そちらにも出来るだけ行ってみたい。どんなところに行ったか思い出してみる。三輪山、松尾大社、出雲の蘇我神社などには磐座があり、男体山や奥穂高岳は奥宮・嶺宮だったわけだ。今度からこの辺りの関係に目を向けよう。

1月30日
記事へナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 3


適塾

2019/02/07 21:44
  1月恒例の京都の2泊目は今回は大阪に泊まることになった。

画像

 数年前に行ったときにはじめてキタとかミナミというのがわかり、あわせて大坂城、中之島、造幣局、四天王寺を回ったので大阪の概要がやっとわかるようになった。今回は船場とか北浜という大坂の商業の中心地を歩くことになった。朝、ホテルに荷物を預けて天神橋商店街を歩く。どこまでも続くアーケードの商店街。安い。アーケード街で昼食にうどんを食べた。そして夜はまたアーケード街に戻り、最初の店でまず串揚げ4本と生ビールセットで500円、串揚げ4本と焼酎のお湯割500円。次の店でお好み焼きと生ビールのセットで1000円。いやあ大阪って住みやすそう。

画像

 天神橋商店街から、日本三大祭である天神祭りで有名な大阪天満宮に行く。

画像

 思ったほど境内は広くない。この後、中之島に行き、中央公会堂の中を見学する。


 福沢諭吉や大村益次郎の学んだ適塾はこの日の見学のメイン。
画像

 大阪はさぞかし空襲でやられたと思っていたのに、ちゃんと適塾の建物が残っている。中之島の建物も残っているから、丸の内などと同様に、このあたり空襲がなかったのかもしれない。

画像


画像

 中は資料館になっている。結構広い。緒方洪庵は医者であると同時に蘭学を教えた。そして経済的にも力があったのか。

画像


画像

  適塾の両側は空き地になっているから、建物の規模がわかる。本居宣長の住まいよりはるかに大きい。

画像

 緒方洪庵の像が立っている。

画像

 適塾のあったあたりは北が土佐堀川に面するので、商売の盛んな船場の中でも北浜と呼ばれている。適塾のすぐそばには大阪取引所の建物がある。今では丸の内のビルのように昔の面影を残しながらも高層ビルになっている。入り口には大阪経済の恩人であるディーン様、いや五代友厚の巨大な像が立っている。

1月29日

記事へナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 3


渉成園  智積院  養源院

2019/02/06 22:54
京都駅に降り立って智積院を目指し、途中に渉成園に寄った。

画像

  渉成園は東本願寺の歴代の隠居所で、周囲に枳殻(からたち)の生け垣をめぐらしたことから枳殻邸(きこくてい)ともいう。ただし1864年の蛤御門の変により炎上し現在の建物はそれ以後建てられた。今や周りを建築物に取り囲まれているものの、池泉回遊式の庭園に、風流な建物が点在する。印月池の向こうに建つ漱枕居。

画像

  北大島に建つ縮遠亭。建物は小ぶりだけれど、繊細なつくり。 

画像

  一番印象的なのは傍花閣(ほうかかく)。上に4畳半の部屋があるそうで、そこに至る階段が両側にある。

画像

 階段の入り口。こういうのが両側にある。

  次にかねてから行きたかった智積院に行く。いつも東山方面を目指して京都駅からバスに乗ると三十三間堂を越えて突き当たったところを左に曲がる。その突き当たったところが智積院である。
画像

 智積院といったら、長谷川等伯の襖絵である。等伯の息子の長谷川久蔵が25歳で描いた「桜図」と、翌年その息子が亡くなって傷心のうちに等伯が描いた「楓図」どちらも迫力がある。

画像

 等伯の障壁画は今は収蔵庫で見る形になっている。実際の部屋には模写した襖絵がある。とても輝いている。

画像

  襖絵がいろいろあるうち、後藤順一筆「百雀図」1995年がかわいらしい絵だった。あとは非公開文化財公開ということで、堂本印象のモダンな襖絵を目にすることが出来た。

画像

  庭にはハートが。

画像

  最後に「楓図」の御朱印帳を手に入れる。

 夕方まで少し時間があったので智積院のそば、三十三間堂の向かいにある養源院に寄った。
画像

  俵屋宗達の象の絵がメインのつもりで行き、それも一見の価値があったのだけれど、こちらの歴史が深い。
  養源院はもともと淀君が父の浅井長政の供養のために秀吉に願って創建した。その後火災に会い、今度は淀君の妹で秀忠の妻だった江が再興した。その際、伏見城の遺構の一部を移築した。伏見城は関ヶ原の時には家康の城であったが、鳥居元忠らは石田三成軍に攻められ落城した。この時に最後に自刃した鳥居元忠をはじめとする遺体が放置され血が染みついた床板が養源院の天井に貼ってある。「血天井」である。ボランティアのガイドさんがこのあたり頭とか足とか説明してくださる。はっきりと手とわかるのもある。

1月28日
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 3


京都でおでん

2019/01/30 08:31
今回で4年目の1月京都。渉成園のお庭を拝見して、智積院で長谷川等伯の襖絵、養源院で俵屋宗達の象の絵を見る。

画像

夜は例年どうりたこ松のおでん。

画像

今回が初めての同行者の一人が、「棚が斜めになっていませんか」と無粋な質問。お母さん、「そうなんですよ。あれが真っ直ぐに見えたら酔うてはるさかい、もう呑まんようしてもろうたります。」あの棚は雑誌にも載っていて、こちらの売りなのである。

まずお目当ての聖護院大根、たこを食べる。きんちゃく、油揚げ、玉子、だし巻き玉子、ちりめん大根、など何を食べたか思い出せないほど食べ、三岳のお湯割りでいい心持ち。宿に戻る前にもう一軒寄って、この日は終わり。1月28日
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2


ハナが逝きました

2019/01/28 11:28
1月9日ハナが逝きました。ここ数ヶ月夜泣きをしたり、ちょっと足元がおぼつかなくなったものの、年末までは食が細ったとはいえ食べていたし、トイレも行っていた。それが1月2日の朝、コタツから這い出たけれど立つことが出来ず歩けなかった。お正月なので空いている獣医さんもいないと思い翌3日を迎えた。ネットでやまなか動物病院を調べると、お正月でも緊急の時は連絡して下さいとあった。やまなかさんはハナが3回入院した、とても信頼している先生だ。早速連れて行ってレントゲンと血液検査。腎臓が機能していないとのこと。点滴しても貧血になってしまうから栄養補給は出来ない。でも点滴で水分補給と幾分苦痛を和らげることは出来ます。とりあえず入院していただいて何が出来るが探ってみましょう。通院という方法もあるけれど、ハナちゃんには負担になってしまいますね。

画像

結局ハナを置いてきた。ハナが間もなく死ぬことを受け入れなければならなかった。

画像

オランダの娘にハナが入院したことを知らせたら、20時間後には我が家の玄関に立っていた。獣医さんのケージの中のハナを代わる代わる撫でてあげる。

画像

ハナが獣医さんのところに四泊して、会いに行くと、今安定しているので家に連れ帰る時だと言っていただく。点滴が済む夕方迎えに行く。ベッドのつもりで浅いダンボール箱に寝かせたら、自分でそばのコタツに入ってしまった。娘は水を口元に持っていたり、流動食を口に含ませようとする。でもほとんど飲み込んでくれない。

画像

翌朝、ハナの泣き声が居間から聞こえてきた。行ってみると、自力でコタツから這い出ている。次の朝、また泣き声がしたので行ってみると、コタツの中だった。

朝方、やまなかさんに連れていく。昼間点滴をしてもらい夕方迎えに行った。ハナの様子は朝とは全く違っていた。横たわったままで表情が無かった。「ハナちゃん、おうちに帰るんだよ」何度も声をかける。娘が車を運転し、ハナは私の膝の上。子供達が通っていた岸中学を通りかかるとハナが少し痙攣した。家に着いて娘が言う。ハナはもう息をしていない。

画像

翌日、車が来て、庭で火葬にしてもらった。その翌日は娘がオランダに帰った。ハナは2月22日が来たら21歳になるはずだった。「だからハナは21歳まで生きていたの」と娘が言って行った。
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 3


シモバシラ 高尾山

2019/01/01 15:26
今年も山歩きができますようにと、高尾山に登る。頑張って朝早く家を出るなんてことをせずに、いつものお正月どおりに、お雑煮を食べ、おせちも食べてゆっくりしたあと、出発。

画像

山頂12時。富士山には雲がかかっている。でも見えたので良しとする。秋の初めにシモバシラの花を見て、ぜひとも冬にシモバシラが立つ姿を見たいと思っていた。だから高尾山の頂上を過ぎて、あたりをつけていたとこを見て歩く。

画像

こんな表示があるから、この辺りかと思う。

画像

最初に見つけたシモバシラ。

画像


画像


画像


画像

こちらロケットみたいな形。

画像


記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 1


中央公論12月号

2018/12/27 12:24
  最近はDマガジンで週刊誌は比較的目を通している。と言ってもあれだけある中から私が目にしているのは、偏った内容のほんの少しだけだろう。週刊誌を買わないだけでなく、月刊誌も分厚いから、読むのが大変そうで、ほとんど手を出していなかった。でも今回は中央公論12月号が目についたので買ってみた。手にしてみると、とても勉強になった。週刊誌が、その時々の出来事を追っていてあまり掘り下げないのに対して、月刊誌は編集方針に基づいてテーマを決め、筆者を選び、論を展開しているもんだと思った。日々の新聞・ニュースあるいは週刊誌を読んでいるだけでは、今どんな重大なことが進行しているのか全体像は掴めていないのを実感。
 
中央公論12月号で入ってきたことをざっくり書いてみる。

佐藤優「北方領土返還、これが最後のチャンスだ!」…現在の米中あるいは朝鮮半島の動きの中でロシアにとっても日本にとっても、両者が接近しておく必要があり、両国の政治状況も今がチャンス。その場合、平和条約締結の条件として四島返還は取り下げてニ島返還で話をすすめ、ゆくゆく残りの二島の話し合いをしたらいい。

「新潮45」の杉田水脈(みお)「LGBT支援の度が過ぎる」掲載と廃刊…新潮45では「LGBTの彼ら、彼女らは子供を作らない、つまり生産性がないのです」という記述が批判の対象になった。自らもゲイ当事者であるという千葉雅也氏は「国家」とは、未来へとつなぐ子供という存在があってこそ意味をなす巨大な生命体です。しかしLGBTは子供を作らないため、その連続性を切断する敵対的な関係にある。国家主義的な保守たちは、LGBTのそんなところに疑問を投げかけるのです。」とし、最後に「批判者は休刊に追いやったことで喜んでいるでしょうが、これを成功事例として捉えてはいけないと思います」とある。

角幡唯介「関りを奪うテクノロジー」…論旨は「GPSなどテクノロジーを使うと便利ではあるが、目的を達成するまでの労力を省いてしまい、対象との身体的な関りが失われ、世界から切り離された、ある種の喪失感が生み出される。」。私は作家・探検家である角幡唯介氏のことをさっぱり知らなかったけれど、現在42歳で新刊「極夜行」は最近ノンフィクション本大賞を取っている。探検家がこんなにひきつける文章を書くのかと、アマゾンに彼の本を注文した。

あと印象に残ったのは「サピエンス全史」、カヴァノー判事、MeToo、ポピュリズム、「キングダム」、本庶佑など。
 

 
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 1


奥久慈男体山

2018/12/26 22:41
日光の男体山ではなくて茨城県の北の方にも男体山があるのを知ったのは、だいぶ前に雑誌に載っていた椎名誠の文章だった。内容はすっかり忘れたけれど、いずれ行ってみたい気持ちだけ残った。と言っても茨城の北は遠い。水郡線に乗って行くと、一泊しないとならないのだ。今回は2台の車で行って登山口と下山口が別という計画にのった。

画像

  一台の車を水郡線の上小川駅に置いてから、もう一台の車で西金(さいがね)駅を経由して、駅から歩いたら1時間半ほどの山間の道を行く。途中からは道が細くなって、林道並みの道を行く。古分屋敷というところを過ぎて間も無く駐車場に車を置く。男体山が見えた。岩稜の山だ。

画像

  すぐに大円地(おおえんじ)というところに出る。狭い谷にあってその最後の開けた所だ。数軒の家があり、山の斜面には茶畑がある。

画像

  ここまで、細い谷だというのに、ここだけわずかに開けていて、興味深い。煙突が二本立っている、かまえがしっかりした家だ。

画像

  すぐに道が二手に分かれていて左手の道を取る。この登りは、地図には上級者向き(鎖場連続)とある。なかなか急な登りで、岩がち。でも適度に鎖がかけてあり、枝や根っこ、岩などつかむところもあって登りやすい。見晴らしの良いところに出た。西側の斜面が切れていて、真下に集落が見える。

画像

  遠くに日光や那須の山並みも見える。

画像

 頂上には男体神社の奥宮がある。標高差500メートル登った。

画像

 下りは鎖場のほとんどない、下りやすい道。だいぶ下って山の中に男体神社がある。人家からだいぶ離れていて、こんなところにポツンとあるのが不思議。一応杉並木がある。 

画像

  栃木県の男体山と同じ系統なのだろうか。でもこちらは男体神社で、あちらは二荒山神社である。

画像

  長福というところで、一度車道に出る。男体山の山容が見える。右手の方から登ったのだ。もう一度長福山を巻く山道に入る。  

画像

 椿が咲いている。上小川駅まで歩いて車に戻り、もう一台の車のところに行った。

画像

  奥久慈に来たのは初めてだ。車から見える特産物の看板が興味深かった。こんにゃく、林檎、納豆、奥久慈しゃも、奥久慈そば。常陸大宮市の道の駅「かわプラザ」に寄った。色とりどりの人参、舟納豆、むかご、パクチーなど。家で早速むかごご飯を炊いたら、家人はむかごだけ除けている。食べないのかと思ったら皮を剥いて口にしている。ちょっとね!12月19日


記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2


高尾山頂には保育園児

2018/12/15 22:20
富士山を見たくなったので高尾山に行く。我が家から1時間ちょっとで高尾山口駅に降り立った。

画像

山頂からは真っ白い富士の嶺が望めた。山頂には12月の平日というのに、多くの登山者がいた。中高年は勿論、学校行事だろうか大学生が沢山、それに保育園の年長らしい子供たちがいた。

画像

山頂の向こうの陽だまりでおにぎりを食べていたら、保育園児が前の方に移動してきた。しばし観察。動物園の猿山を見ているみたいに面白い。先生が指示すると、その通りやるのだ。ますリックを開け、敷物を取り出して敷く。次に背中につけているタオルを取る。この時期汗で体を冷やさない配慮だろう。それから上着を取り出して着る。

画像

次はお弁当。コンビニのお弁当なんかでなく、ちゃんと家で作ってもらっている。すっかりコンビニのおにぎり持参の高校生登山とは違うのだ。箸を使っている子もいる。外国人には箸を使うのは難しいのに、日本の子供はわずか5、6歳で自由に箸を使うのには感心する。みんなポットに飲み物も持っている。
この子たちがどうして幼稚園児ではなくて保育園児だと思うかというと、保護者がついていないからだ。でも先生だけでなく補助をする人はいる。

ここまで見ていて、息子のことを思い出してしまった。息子は保育園に行っていたけれど、最後の1年半は幼稚園に行った。隣が幼稚園だし、放課後は見てあげますと言ってくれたからだ。でもあとになって、母親がほとんど顔を出さないというのは随分寂しい思いをさせていたことに気づいた。ある時、幼稚園の遠足の写真を見た。みんな母親とお昼を食べている中で、息子は声をかけてくれた母親のグループに入れてもらって食べていた。あの頃、幼稚園の遠足は母親も一緒に行くものだなんて気づいていなかった。
もう一つ思い出したことがある。幼稚園にはご飯だけは持って行く日があった。私はすっかり忘れていた。すると担任の先生は我が家に入って、炊飯器にあったご飯を幼稚園に持って行ったのである。何しろ幼稚園は隣だし、鍵もかけずに暮らしていたから可能だった。
記事へナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 3


三菱一号館美術館

2018/12/13 12:12
東京タワーそばのタンゴでランチをしてから三菱一号館美術館に行った。4つ行ける東京駅周辺美術館共通館訪問の最後である。
券は4つの美術館が巡れてかなりお安かった。最初に行ったのは東京ステーションギャラリーの「くまもの」で、隈研吾の素材に対するこだわりがわかって、とても良かった。そのあと彼の本を読み分かったのは、20世紀の頑丈だけれど無機質な鉄筋コンクリート建築ではなくて、それぞれの地域の持っている素材を大切にする姿だった。その彼が引き合いに出しているのはブルーノ・タウトである。タウトは桂離宮を見てショックを受け、建築に対する考え方を根底から変えたという。タウトが感動したという、生きている竹を垣根にしているいわゆる桂垣も説明があった。私はその少し前に桂離宮に行っていながら、桂垣を見逃していた。
1月から12月まで有効なこの共通券を使って、その後しばらくは見たいと思うのが無くてそのままにしていた。プライベートな美術館だから世の中で大騒ぎされるレベルのはやってないのだ。でも年がつまって期限切れになりそうなので、ここに来て急遽3館に行った。いずれも日本を代表する企業が運営しているので、展示内容よりも、美術館そのものを見ることに意義を感じた。三井記念美術館は三井の本拠地である日本橋にあって、伝統ある建物の中。出光美術館は皇居を見晴るかす素晴らしい立地。

今回の三菱一号館美術館は明治期にライト設計で建てられたものを、復元している。今回の展示はフィリップスコレクション。思いの外混んでいる。何が目当てなのか考えてみる。

画像

ドガの「稽古する踊り子」じゃないかな。私が目指すとしたらこれだ。

画像

でも写真OKの部屋にあったこんな絵も印象に残る。

画像


画像

上の方を見ると東京駅の屋根に似ている。あちらはライトの弟子辰野金吾設計だからそういうことか。

画像

中庭は洋風でお洒落。

画像

そばの並木には侘助みたいのが咲いているけど、シャクナゲの遺伝子が入っている気がする。

画像

赤いオープンデッキカーが走っている。こういうの初めてロンドンで見た時は、日本でも走る日が来るとは思っていなかった。

画像

こんなのを楽しむ風景も日本じゃないみたい。

画像

長いこと工事中だった東京駅前がスッキリした。

画像

皇居に向かう道、とってもすっきりして、一国の顔にふさわしくなった。

東京歩きの最後にオアゾの丸善に寄った。以前は松岡正剛プロデュースの一角があってその頃は折あるごとに寄った。久しぶりに行ってみると、さすがに丸の内のビジネスマン向けの書店、入る早々今をときめく本が目に入ってくる。子供ニュースの池上彰パパが毎日必ず書店をチェックするのが理解できる。私にも落合陽一という人物が超売れっ子であることが初めて理解出来たので、帰宅後ネットで彼の講義を聞いた。私も、今起こりつつあることに注意を払わねばという気になった。
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 5


「メシ、風呂、寝る」から「人、本、旅」へ

2018/12/08 12:17
  出口治明氏について調べてみたら、還暦で立ち上げたライフネット保険から退き、今年から立命館アジア太平洋大学の学長になっていた。69歳で新たな仕事を始める人がいるというのは刺激になる。そして出口氏の歴史の視点は、世の中に広がった方がいい。私は前回ブログに書いたように、世界史目線の入り口に立ったところなので、この後はまずは出口氏の本を読もうかなと思っている。
 「世界史としての日本史」の最後の方には、「メシ、風呂、寝る」から「人、本、旅」へと書かれている。半藤氏によればいわゆる団塊の人たちは若いころには、計算も展望もない全共闘運動をし、それが終わると働きバチに変身し猛烈に働き始めた。そして出口氏によれば、吉田茂が敷いたグランドデザインでは、彼らはがむしゃらに働くだけでよく、勉強して余計なことを考えるのはむしろ邪魔になった。さて私も団塊の世代のしっぽにいるので、このお言葉を素直に受け取るには抵抗はがある。でも男はたくさん働いて帰宅が遅く、家庭は妻が守っており、「メシ、風呂、寝る」のイメージがあった。出口氏は言う。でもこれからは「人、本、旅」でたくさんの人に会い、たくさんの本を読み、いろいろなところに行って見聞を広めるべきで、そのためには早く職場から帰らなければならないし、バカンスが必要である。
 そして出口氏はこの方向に沿って、教員も学生も外国人が半分という立命館アジア太平洋大学の学長になったわけだ。
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 4


「世界史としての日本史」

2018/12/08 00:43
 世界史にも目が行くようになって、目についた本が「世界史としての日本史」。

画像

 ライフネット保険会社をやりながらも世界史の本を出している出口治明氏と元文芸春秋編集長で「日本で一番長い日」などの作者半藤一利氏との対談である。対談本というのは安易に作っていて掘り下げてないイメージがあるので、しばらく置いておいたけれど、読みだしてみると、とても勉強になった。特に出口氏の世界史の視点が為になった。
 最近クールジャパンとか言って日本は素晴らしいという風潮だけれど、日本は世界史の中でほとんど存在感の無い国であると、まずは切り出している。そう言われれば確かにそうで、日本はまさに中華帝国の辺境にあったのであり、世界史の中で存在感を出したのは、大戦のころだろう。

 明治維新以降が第一立憲君主制で、戦後の憲法が出来てからが第二立憲君主制というくくり方はわかりやすい。幕末の幕府はかなり海外事情を知っていて阿部正弘や井伊直弼が開国派だったのに対して、薩長は尊王攘夷をとなえてむやみと外国を排斥していた。しかし薩英戦争と四国艦隊下関砲撃に負けて薩摩も長州もは攘夷が不可能なことを知る。そこで攘夷をいつの間にか取り下げておいて、尊王だけで幕府を倒した。だから別に明治維新の必要はなかったという。けれども彼らのやったことを正当化するため、そして国家のアイデンティ造りのために天皇を中心とする装置をつくる必要があったわけだ。新政府は明治天皇が大元帥の服装をし、皇后が洋装をした肖像画を日本中に配ったという。新時代が来たことを人々に知らせるためである。そういえばそれまでの天皇は、ほとんど御所から出なかったはずなのに明治天皇は日本中を行幸している。幕末から明治維新の歴史は薩長史観だったという論調が最近出てきている。私も、かつて大化の改新で蘇我氏を悪者にする必要があったように、新政府は幕藩体制を悪いイメージにする必要があったことに気づきだした。つまり歴史は勝者が都合いいように書かれるわけで、そのあたり、この本でさらにイメージ出来た。。

 司馬遼太郎は「坂の上の雲」を、それまではマルクス史観の影響で日露戦争が侵略戦争にくくられていたのに異を唱えて書いた。強欲なロシアが北の方から圧力をかけてきたので、まだ青年期の日本が横暴に耐えかねて、ついに勝負をいどんで勝利したというイメージで書いている。しかしこれはきれいすぎるのじゃないか。実際はロシアの革命騒動に乗じて、日本の方が戦争を仕掛けて、満州の権益を虎視眈々と狙っていた。日露戦争後には、賠償金が取れなかったと言って日比谷焼打ち事件が起きた。この時、日本はそれ以上戦争を続ける力はなく、小村寿太郎はポーツマス講和会議で見事な駆け引きをやっていた。けれども陸軍は連戦連勝の情報ばかり流していたので、国民は実際の状況を理解していなかった。日露戦争の結果、日本はロシアから満州の権益を引き継ぎ、満州に執着するようになったのである。

 冷戦は日本にとって幸運の代名詞だった。冷戦中は、日本が少々わがままを言っても、アメリカは日本を守ってくれて、絶対にロシアや中国の味方はしなかったが、今は国益で判断する。日米安全保障により、強兵を捨て、富国に絞った吉田ドクトリンのもとで日本は高度成長を遂げたたわけだけれど、半藤氏のインタビューに吉田茂が答えている。「みんな、憲法を改正して、早く自衛隊を国防軍にしろと言うが、そういうことはしない方がいい。むしろ、この国は、今の協調路線をしっかり守っていた方がいいんだ。」日本はもういっぺん、富国だけでなく強兵でもありたいなんて考えを持ったら、大間違いだと、それをさかんに言っていたという。

  いろいろ勉強になったけれど、最後に「世界のなかの日本を知るためのブックガイド」の章がある。いろいろな本が紹介されている中で、出口氏が「やはり、第二次大戦のことをきちんと勉強して、将来に役立てようと思ったら、新書を4〜5冊読んだくらいではダメですよ。きちんとした本を、ある程度苦労して、自分に負荷をかけて読んで、初めて自分の実になるので、簡単な本はどこにもありません」と言っている。
 うーん、私には「将来に役立てる」はあるんだろうか。将来がないから、今の立ち位置のままでいいと考えたらつまらない人間になるのは確かではある。しかしこのレベルの人たちはどういう風にしてこれだけの勉強してるんだろうか。 
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 4


「ROME」

2018/12/07 18:24
漫画「テルマエロマエ」の作者ヤマザキマリさんが、アメリカとイギリス合作のテレビドラマ「ROME」を夜も眠れないほど興奮して見たというのを読み、私もアマゾンプライムで見始めた。スポーツクラブでステップマシンを踏みながら一回につき一話見るのである。

画像

1時間ドラマで1部、2部それぞれ11話づつある。1部はカエサルの暗殺までで、そこまでは見た。

画像

主人公は第13軍団長のヴォレヌスと、その部下のブッロ。

画像

 このドラマの登場人物で、私にはブッロが一番恰好良く見える。

画像

 カエサルの姪のアティアは、カエサルの後継者であり帝政を始めたオクタヴィアヌスの母親である。演ずる女優はちょっとソフィア・ローレンに似ている。でもなかなかの野心家で、憎たらしい役どころ。

画像

  今、第2部の2回目が終わったところで、オクタヴィアヌス役はまだ少年、いや青年になりつつある。この賢い少年の雰囲気が良く出ている。

 このドラマは200億円かけた大作である。アメリカドラマらしく暴力シーンがリアルで目を背けるにしても、戦闘シーンはあまり多くはない。成人指定であるけれど、日本版はカットしているのか、その方面もあまり多くない。いずれにしても装置や衣装、それにストーリーが迫力がある。
 さて、私が何を思うかというと、このストーリーの紀元前後の日本はまだ弥生時代で小国の時代なのに、ローマはあれだけの文明を持っていたのかということだ。考えてみると、日本は東アジアのローマ帝国みたいな中華帝国の辺境にあって、その影響下で文明をきずきつつあった。
 
 ここ数年、日本への関心を中心に過ごして来たけれど、ここにきて世界にも目を向けるべく軌道修正。夏のパリ滞在もそのあたりを考える機会になった。


記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 4


柚子胡椒

2018/12/04 07:00
狭い庭だけれど、暑かったせいか、柑橘類の実りがいい。
画像

今年は柚子がよくなっている。

画像

みかんもよくなっている。

画像

柚子と青唐辛子、そこに20パーセントの塩を足してミキサーにかける。柚子胡椒の出来上がり。

記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2


寿司づくり

2018/12/02 21:33
今日の寿司メイキングレッスンはまず大宮市場で本マグロを買うところから始まった。

画像

何回か車で通り過ぎたことはあるけれど、市場の中に入るのは初めて。大宮市場の中には青果市場と魚市場があり、毎週土曜日は8時半から11時まで一般の人も利用できる。ここで各自、自分で切る為のマグロの切り身を買う。

画像

先生が買ったのは1キロ2000円の本マグロ1.8キロ。まず、赤身の部分を取り除いてから切っていく。

画像

各自包丁を使って自分用の切り身を作り、そして握りに取り掛かる。以前握りを教えてもらった時には手順がさっぱり頭に入らなかったけれど、2回目の今回は少しわかってきた。

画像

次にヒヨコの巻寿司をつくる。

画像

翌日早速残りの切り身で4人分の握り寿司と巻寿司を作った。好評。今度また大宮市場に行って、寿司メイキングして、集まりが出来たらいい。


記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 3


畑じまい

2018/12/01 21:59
直江津の春日山城を後にして東御に回った。

画像

庭に残っていたマリーゴールドや百日草などを引き抜き、豆を収穫した。

画像

トマトとか豆のフレームを片付け、翌日にはトラクターで耕してもらった。これで今年の畑は終わり。

画像

前回植えておいた玉ねぎの苗はほとんど付いている。

画像

前回3人で3晩夜なべしてむいた柿はカビが入らず、いい色に仕上がっている。

画像

庭に花はほとんど咲いていないけれど、冬桜は咲いている。
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2


鞘から豆

2018/11/29 22:31
今回の夜なべ仕事は鞘から豆の取り出し。

画像

今年も畑の面倒をあまり見られなくて、エンドウ豆の食べ時も逃していた。そのままにしておいたのを今日は畑のポールを片付けることになったので収穫した。夜ほろ酔い加減で豆を鞘から取り出す。前回は干し柿用の柿剥きを3晩したけれど、今回は1晩で終わり。でもこれだけ取れたら我が家では豊作。灰をたっぷり撒いたのが良かったか。

画像

午後はダッチオーブンを取り出してきて焼き芋を作った。

画像

今年収穫したサツマイモのほとんどは紫芋。

画像

とっても美味しく出来た。
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2


弥彦神社の茶屋はつげ義春の世界

2018/11/27 22:11
弥彦神社に参拝してから弥彦山に登る。
画像

弥彦山に登ると言うことは、弥彦神社の御神体に登るということなのだらう、登山口に鳥居がある。ちょっと登ったら茶屋に出た。

画像

今も現役でやってる。冷やし甘酒150円とある。でもまだ登り始めなので寄らずに通り過ぎる。

画像

まさに、つげ義春の世界。こう言う店をやれたら結構良さそう。

画像

尾根近くなるとロープウェイの山頂駅がみえてきた。

画像

頂上まで1時間半。頂上には峰宮がある。鳥居には天香後山命とある。

画像

弥彦山は標高634mでスカイツリーと一緒。直ぐに海に面している。佐渡が直ぐそばのはずなのに見えない。でも海岸線は見える。

画像

信濃川の大河津分水が見える。

画像

日本海の反対側は越後平野。直ぐ下は昨日泊まった弥彦温泉。

画像

山頂のそばに弥彦スカイラインが通っていて、駐車場から巨大な電信柱みたいのが立っている。展望台らしいけれど、あまりにも細長くて怖そう。そういえば昨夕新潟のテレビが新潟市内のレインボータワーを取り壊したと言うのをやっていて、それとそっくりではないか。調べてみたらこの二つは同様の作りで、弥彦山のはパノラマタワーという名だった。回転昇降式の展望台がついていて、どちらも高さ100メートル。それにしても、ただの棒みたいな作りで、よく倒れない。

午後は長岡にある県立博物館に行った。ちょっと不便な立地ながら、ものすごい立派な施設で展示も充実していた。ただし訪れていたのは、我々の他に1人。越後平野は新潟のあたり湿地で開発が遅れていたのを大河津分水を作ったり、人力の踏みぐるまなどを使い大変な工事をして今日があるのがわかった。深田での稲作の大変さが印象に残った。そして冬の豪雪。越後は生きていくのが大変なところだった。


記事へナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 2


弥彦神社

2018/11/26 22:05
今回は新潟県を目指す。まず燕三条に行く。地場産センターで庭木用剪定バサミと、スプーン・フォーク・ナイフのセットを買う。次に何をしたかといえば、すぐそばにあったイオンに寄って荏胡麻オイルを買った。先日「試してガッテン」で痩せるのには荏胡麻油がいいとやっていだそうで、アマゾンも品切れ、都内のスーパーでも売り切れだと言う。それじゃ地方で売っているのではと言うことになり、あるじゃないのと喜んだ。うーん、なんか話が俗になった。それから寺泊に行く。「寺泊角上」で夕食用にベニズワイガニを買う。

画像

夕方、越後の国の一宮、弥彦神社に参詣する。

画像

拝殿。

画像

屋根付きの太鼓橋がある。

画像

画像

画像

画像

様々な菊の展示がある。
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2


つげ義春

2018/11/23 11:07
養老渓谷のことを調べていたら、この辺りにつげ義春が「貧困旅行記」に書いている鉱泉宿があることが出てきた。そう、私は彼みたいな世界が好きだったのだと気付いて、ブックオフに注文した。彼の描いた鄙びた世界は私が学生の頃にも残っていたから、まったく遠い昔のことではない。今日みたいに、一人で朝からこたつに入っていると、掃除とか仕事とかそういうきちんとしたことは無しにして、このままずっと寝転がってつげ義春の本を開き、彼の世界に浸りたくなる。

画像

「貧困旅行記」の最初にある「蒸発旅日記」は本を書いた時点からさらにもさかのぼった若い時の旅で私のイメージする彼の雰囲気がよくでている。会ったこともないけれど手紙をくれた女性と結婚してそちらに住んでしまうのもいいかと小倉に行った時のこと書いている。結局は温泉を巡り、パチンコをしたり、ヌードスタジオに通って踊り子と寝たりで終わる。
彼の旅は古くて寂れて、なんとなく暗いようなところが好きで、そういうところに行くと気が沈むのだけれど、気持ちが落ち着くという感じ。陽じゃなくて陰に惹かれれる感じ。
後の方には、妻と7歳の子供を連れた旅も出てきて、世の中に通用する生活になったのかと思う。しかも文学書、哲学書も読んでいるらしく教養も感じる文章。でも鎌倉では6万7千円の銅製の千手観音を買っており、家族旅行といえども気持ちが違うところにも行っている。何しろ彼は閉鎖された鉱泉宿を引き継ぐとか、住職のいなくなった過疎地の寺で住職ができないものかと考えていた。私も今度から骨董屋があったら、自分の念持仏を探そうかと思った。

「つげ義春とぼく」のほうには密航や自殺に失敗した話、何度も家賃がたまってしまった話、売血したことなどが出てくる。

画像


画像

若い頃のつげ義春の写真をみるとなかなか雰囲気がある。


記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2


ソラちゃんとシドちゃん

2018/11/22 17:55
久しぶりにソラちゃんとシドちゃんに会った。といっても友人は二匹の写真を隔月でスマホの待ち受けにしていて会うたびに可愛いでしょうと見せるから、そんなに久しぶりの感じでもない。

画像

目も開かないうちに拾われて、猫ミルクをあげて育てたソラちゃん。家のハナの2倍以上はある。

画像

人たらしだそうなシドちゃん。この時は寝ぼけまなこで距離感あり。どちらも、家のハナの半分も生きていない。
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2


続きを見る

トップへ

月別リンク

マルハナバチのつぶやき/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる