トレイルラン用のザック

  この後、どれだけ山歩きが出来るのか考える。無理がきかなくなったし、急なところが怖くなった。それでも出来る範囲のことをやっていきたい。ここ数年で取り入れたこと。
  一人山歩きで迷わないようにする。数年前ガーミンを使いだしたけれど、今はスマホのヤマップになった。そういう流れでは一眼レフのカメラからiphoneになった。
  体力をつける。無理はきかないというのはわかってきたから、無理しなくても山歩きが出来る体力を作っておく。スポーツクラブの会員にはなっているけれど、せいぜい週に1度か2度、マシーンをやり、30分ステップマシンやって終わり。さほど体力づくりにならない。山に登るのが一番。週一ぐらいで登るといいんだけど。
  装備の充実。まずは軽量化でウルトラライトの方向へ。あとはウエアーの充実。
  ということで、今回はトレイルラン用のザック。

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  グレゴリーの7リットルのザック。本体には軽量雨具、防寒ウエアー、予備の水、食料の本体、緊急用パックを入れる。

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   このザックですごいのは本体以外にたくさん収納があること。ポール、水、行動食、スマホ、地図、行動中に必要なものがザックを下ろさずに取り出せる。
  今年になってから浅間山と飯縄山で使った。飯縄山など登りの2時間一度もザックを下ろして休まず。

  このザック使ってまた登るのが楽しみ。こうなってくると、山歩き用のトレイルランの靴も欲しいかも。
  この間ネットに、上田の太郎山でトレイルランの大会があると出ていた。私は大会にエントリーなんて考えていませんよ。でもトレイルランのコースが近くにあるのはいい感じ。今度様子見に行って来ます。

  
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飯縄山

前夜遅く東御に来て、台風が来る前に山に登ろうと思った。1000メートルぐらい標高差があって近い山、浅間山はちょっと前に噴火したし、その直前に登ったからよしとして、ヤマップで周辺の山をあたってみる。飯縄山がまだ登っていない。高妻山に登った時にいづれ登りたいと思っていた。
  標高1200メートルほどの一の鳥居登山口に車を置く。8時10分出発。駐車場の横の車の人はもう下ってきたらしくて汗を拭いたりしているから「早いですね」と言ったら、「いや私より早い人が3人居ました」との返事。飯縄山は上田における太郎山みたいな存在で、毎日のように早く登る人がいるのかと思った。果たして登りだしてみると登山者が多くて、この辺りの高尾山のような存在かと思った。いや、比較しちゃいけない。飯縄山は長野市の後ろにそびえる象徴的な山で、修験道の歴史をもつ。

1700メートルぐらいまでは樹林帯の中で、歩きやすい道。

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  この花なに?ギンランでもないし。
  
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  この鳥居まで来ると、眺望が開けて高山植物が豊富になる。

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  手前にあるのはオヤマボクチだろうか。

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  タカネナデシコ。

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  ミヤマオダマキ。

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  マツムシソウがもう咲いていた。

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  ヤナギラン。

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  標高1909メートルにある飯縄神社。
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  神社からはとても見晴らしがいい。

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  飯縄神社のピークから少しだけ下って、ちょっと登ると飯縄山1917メートルのピーク。登り2時間かかった。

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  山頂から周囲の山々の眺望はクリアーとはいかなかった。でも実はこの写真の真ん中ごろに富士山が顔を出している。

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  右奥に後立山連峰が少し見える。でも唐松岳と五竜岳はわからない。

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  ダケブキ。

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  ツリガネニンジン。

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  シナノオトギリ。

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  ノリウツギ。

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  シモツケソウ。
花が登場するとどうしても写真に撮りたくなる。毎回同じような花が登場するのだけれど、今ここで見れたっていうのが嬉しい。

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  登山口に帰ってきたのが11時40分。3時間半の山行だった。

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  日帰りの山は余力を残して帰ってきて、もう1ラウンドできたら理想。でも帰ってから一風呂浴びたら寝てしまい、起きたら夕方。それでもスイカが無事か気になり、畑に出てみる。カラスに食べられずに3個健在。ブルーベリーはもう最後のほう。プリンスメロンは2つだけ。前回テントウムシダマシを必死に潰しておいたトマトは食べ頃を迎えた。モロッコインゲンはイヤになる程なっていて、ほどほどに収穫。6月と7月、思うようにこちらに来られなくて、今年も可哀想な畑。でも、健気に育ってくれてる作物もあって感謝!

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御嶽山 百名山完登 3

  御嶽山登山の前後に泊まったヒュッテクライスは大学の2年先輩のクラスメートが経営している。
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  今は御主人をなくして息子さんと二人で切り盛りしている。
  
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   標高1400メートルの森の中。今回私は、開田高原に初めて行ったけれど、中山道から木曽大橋を渡って、美しい景色の中をしばらく登った先にある別天地だ。その開田高原の集落をさらに登った山の中にヒュッテクライスがある。

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  周囲にはギボウシの花がいっぱい。もう少し早いと薄ピンク色のササユリが咲くという。

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  ヒュッテを辞して車で少し下ると、御嶽山を見て肩を寄せ合う二人の姿が見えた。案山子?いや、オブジェ?

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  さらに下って、開田高原の集落と御嶽山が良く見える場所に出た。その後は東御を目指す。

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  私の100番目の山、御嶽山のことを振り返る。噴火以来、この5年、色々なことがあった。そんな思いをドンと受け止めてくれる、大きな山だった。

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御嶽山 百名山完登 2

  朝4時過ぎに外に出てご来光を見る。雲が上がっていて、山は見えない。
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  日の出はやっぱり特別だ。

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  五ノ池と五ノ池小屋小屋を望む。松坂、中津川、佐賀、滋賀、名古屋、色々なところから来た人たちと同宿した。五ノ池小屋に泊まる人達は御嶽山のピークを目指すというより、山を味わいに来た人たちが多い。

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  摩利支天への登りで、五ノ池と継子岳方面を見る。

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  摩利支天からの下り、雲の間に時々御嶽山の最高峰剣ヶ峰が見えてきた。一番端の冠雪したばかりのようにちょっと白っぽい山。神々しい。

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下ったところがサイノ河原避難小屋。

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  サイノ河原は文字通りあの世みたいな雰囲気。ケルンのような石積みが見渡す限りある。
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  二ノ池山荘が見えてきた。

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 二ノ池は火山灰で白色の池になっている。

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  いよいよ御嶽山の頂上。左の石に御嶽山と彫ってあるので、その隣に座って写真を撮ってもらった。これで百名山完登。2019年7月31日8時半。

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  階段の下には5年前、多くの人が避難した頂上山荘がある。

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  頂上の御嶽神社奥社は工事中。

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  5年前の9月27日、奥社の裏側から水蒸気爆発が起こった。写真の左奥あたりらしい。

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  頂上一角に小さな不動明王像があった。しゃがみこんで、こちらにお祈りする。

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  頂上直下の階段の途中には、こんな姿が。

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  この階段を下ったところに頂上山荘があり、今も生々しい姿。

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  階段を降りて左側に追悼碑がある。

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  石室山荘方面の下りは石がゴロゴロした急な下り。4人の行者さんたちが登ってきた。2番目の方はつづらを背負ってらっしゃる。多分、分祀した御神体をお連れしているのではないか。御嶽教の方々だ。

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  女人堂まで下って昼食。かつて女性は頂上まで行けなかったから、ここで待機していたのだ。

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  女人堂からの下り数十人の行者姿の方々に出会う。徳島から来た御嶽教の人々だった。「六根清浄」と歌いながら、整然とした歩み。この後、鹿児島から来た御嶽教の方々数人とも出会う。三ノ池の御神水を汲んで帰るという。

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  御嶽ロープウェイで600メートルほど一挙にくだり、最後に1時間の林道歩きをしてヒュッテクライスにもどる。

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  宿の方が用意してくださった百名山のケーキ。私事を祝ってもらうの、今まで何回あったっけ。

御嶽山 百名山完登 1

  御嶽山は5年前の9月27日に噴火した。忘れもしない息子の誕生日だった。この頃登るつもりでいたけれど、彼の引越しがあって取りやめた。今年の7月やっと頂上まで、登山道が解禁になった。私が登る体力のあるうちに、解禁になって欲しいと願っていた。何しろ、御嶽山登頂で百名山完登である。
  開田高原の奥にあるヒュッテ・クライスを5時40分に出発。間も無く開田高原からの登山口に出る。
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  この日は標高1400メートルから登り始めて2800メートルの五の池小屋を目指す。しばらく樹林帯の中を行く。苔の森だ。

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  ギンリョウソウがたくさんある。

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  花が上を向いたイワカガミ。

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  チングルマ。

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  ナナカマド。

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  キバナシャクナゲ。

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  樹林帯が終わって、ハイマツが出てきた頃、二羽の雛を連れた雷鳥に会う。そしてコマクサの群生。

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  三ノ池に出る。こちらの水は信者の方たちが持ち帰る霊験あらたかな御神水ということで、飲んでみると、とても美味しい。私も1リットル汲む。

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  三ノ池をぐるりと回る。美しい瑠璃色の湖だ。ここに来るまでほとんど人に会わなかったのに、池の上ですれ違った若者が声をかけてきた。15年ほど前の教え子だった。今は小学校の教員をしているという。私が教えたのは地理で2回か3回だったという。こんなところで会うなんて、どういうことなんだろう。この後、頭をめぐらしているうちに、授業の後で熱心に質問に来ていた生徒だったことを思い出した。

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  五ノ池小屋に入って休憩してから、継子岳を目指す。途中にあった岩の下は空洞になっていて祠がある。

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岩の上にあった右の石には伊奘諾尊と伊邪那美尊の名が刻まれ、左の石には天照大神と月読尊の名が刻まれている。

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  小屋に戻って五ノ池を望む。

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  五ノ池小屋のことはこの間、カンブリア宮殿で紹介していた。このストーブは解体してボランティアの人達が運んだ。ここでピザを焼き、シフォンケーキやその日のケーキを焼く。皆さんカンブリア宮殿を見ていたのか、次々と注文が入る。

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    ケーキを食べたかったけれど、どうしてもお酒に目が行く。生ビールを飲み、次に飛騨の酒「花」を飲む。シフォンケーキを食後に食べようとするも、夕食が充実していて、無理だった。夜は気持ちよく寝入って1日目終わり。
  
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登山道で見た、葉っぱから直接花が二つ咲いているように見える木。ハナイカダではなくてオオヒョウタンボクだった。

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  雷鳥は親しか写真に撮れなかった。雪の白が残っているけれど、何しろ保護色だから見分けづらい。

ブルーベリー

2週間ぶりの東御。前回1ヶ月ぶりに行って植物の成長ぶりに恐れをなしたけれど、今回は2週間で、それと同じくらいの成長ぶり。何から手をつけるべきか途方にくれるも、まずはブルーベリーの収穫。
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昨日3キロ。今日は2キロ。

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粒が大きいのだの、小さいのだの、ブルームがはっきりしたのとか、これからの収穫とかいろいろある。いずれも13年前にネットで取り寄せた。それから10年間、さっぱり育たなかった。粘土質の土地がくだものにはいかに向かないかを実感した。3年前に排水の良い土を入れて、ピートモスを大量に入れたら、みるみる育ち出した。今年は沢山実が付いている。

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今年はリンゴもまだ実が付いている。

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草の勢いにもめげずに、バラだのホタルブクロだの、なんとか咲いている花もある。

別子銅山東平(とうなる)

四国の初日、かねてから気になっていた別子銅山の東平地区に行く。
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マイントピア別子という銅山の資料館を兼ねた道の駅を通り過ぎて、深い山を登って行く。標高800を超えたら頂上を過ぎて下りになった。やっとすれ違いの車が来たので聞いたらだいぶ過ぎていた。県道から更に細い道を行って、「東洋のマチュピチュ」と言われる東平地区の鉱山跡に出た。

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  かつてのインクラインは、紫陽花の綺麗な階段になっている。

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貯鉱庫あと。

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索道の起点。

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かつてはこの付近には社宅があって、人口5000人がいて学校もあった。山の中の軍艦島みたい。

花は陽の当たるところに咲く

最近実感するのは花は陽の当たるところに咲くということ。だから最近我が家の木が大きくなったせいで、咲かない植物が増えてきた。バラも、桜も、果物の花も陽が当たらないとダメなのだ。
考えてみると、農作物も陽が当たらないとダメ。そういう当たり前のことを今頃気づいているのもバカにされそう。でも畑や庭仕事をやらなかったら、こういうことを実感しない人生だったのだのだから、この実感は私の収穫。

こういう種類の気づきは、浦和の秋ヶ瀬の公園で野原に座っていた時にもあった。そこいらじゅうに草が生えていて、昆虫が飛び交っていた。地上も地中も命に満ちているのに気づいた。
  マルハナバチに気づいた時もそう。花は交配するものがいなければ子孫を残せない。命はそれだけでは存在できないのだ。

庭の白い花

  この時期、庭にさいているのは白い花。
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八重のドクダミ。

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じゃがいもの花。

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アナベル。昨年庭のあちこちに移植したら、どれも良く咲いている。

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ギボウシ。

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ムシトリナデシコ。

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カシワバアジサイ。

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イチゴは白花がほとんどなのに、今さいているのはピンク色。

回転式ピンホールカメラ

農作業の前に明神池周辺を散歩する。
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まず岩の上でメディテーション。

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梅野記念絵画館の下に見慣れぬものがあった。簡易トイレのようでもあり、近づいて観察する。回転式ピンホールカメラとある。覗いていたら回してあげましょうと声をかけてくれる人がいた。今、梅野記念絵画館でやっている「ソーシャリー・エンゲイジド」の中心である「読書の森」の主催者である依田スローリーさんだった。
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中に私が座り、依田スローリーさんが力ずくで回転してくださる。中の私はピンホールが結んだ画像を一周分見る。映像は逆になっている。これは明神池の方。この後、絵画館で依田スローリーさんや、上田で「犀の角」という劇場をやっている荒井洋文さんの活躍振りを見せてもらう。
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次に天然酵母パンの「わざわざ」さんが最近明神館の上に出店した「問」へ。もんぺとスカーフの出店期間だった。もんぺは私の定番着にするつもりでいるから、真剣になる。「うなぎの寝床」さんが出品していたのが気に入り、実は私のパンツで一番お高いのになるけど、ええいと買う。
  最後に「まる屋」さんに寄って天然酵母パンを買って、スキップ気分で帰宅。そのあと、農作業。やってもやっても、はかどった感じせず。

雨の中、四阿山

  天気予報は毎日雨マークが続く。でも、夏の山に備えて山歩きしておこうと思う。この際、多少の雨とか、景色が見えないなど気にせずに山に行くことにする。スポーツクラブで4時間トレーニングするのは、何日かかかるけれど、山歩きならそのくらい1日で歩ける。
  ということで鳥居峠から四阿山を目指す。菅平の牧場から登るより、単純なコースだからトレーニング風ではないか。
  結局は全行程雨。鳥居峠の駐車場には日曜というのに、車は私一台。無理せずに起きたら8時半だったから、歩き始めは11時。的岩をこえたあたりで、ふと熊に遭遇すると良くない気がした。鈴も笛ももっていない。なので歌を歌うことにした。
かなり登ったところで、若い男女と出会った。駐車場には他に車が無かったから、思いもかけない。牧場に下るつもりが、道を間違えて降りて来たのだ。私と会って、幸運でした。
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  頂上には真田氏の氏神である山家神社の奥宮がある。
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岩屋の中にもう一つ社がある。
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頂上にも社がある。
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降ってきて的岩。
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白山シャクナゲ。
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サラサドウダンツツジ。地面にたくさん花びらが落ちていて、見上げると花が咲いている。
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 ミヤマオダマキ。
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この花、なんだかわからない。
  駐車場着が3時。本日の累積標高差は8000m。おとといの池の平は400mだったから、ちょっと調子が出てきたか。まもなく1000m超えができるといい。
  帰ってから、多少畑仕事をし、ブルーベリーの収穫をした。

池の平に白いコマクサ

  これから3ヶ月は山歩きと思っている。まずは楽なところからということで池の平湿原と篭ノ登山に登る。朝7時に起きれたから、やっと日本時間に慣れた感じ。
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この一週間、雨マークだけれど、曇りの日が多い。晴れていると青空を写す鏡池も、今日はどんよりした空を写している。
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レンゲツツジ、池の平は湯の丸に比べて色が薄い。
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今回一番目に付いたのはツマトリソウ。
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三方が峰のコマクサはちょうど咲いていた。
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白いコマクサもある。
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ミヤマハンショウヅル。
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スズラン。日本のスズランはドイツスズランと違って花が葉っぱより小さいから「君影草」と言いますと、植物の先生が教えてくれたのを思い出す。
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池の平湿原を見下ろしながらぐるっと回って、次に頂上近く岩になる篭ノ登山に登った。本日の登り400メートル。小学生の林間学校にいくつか会い、中高年の団体にもいくつも会い、この辺り、子供と年配者にとってもいい山だ。山中には高峯温泉もある。

久しぶりに農作業

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ほぼ1ヶ月ぶりに東御に来た。植物の成長ぶりに、感嘆するばかり。折しも鹿児島で豪雨。天気予報は一週間ずっと雨。でも昨日も今日も半日は降らないので、農作業をする。どこから手をつけるべきか茫漠とした気持ちになる。この調子だと毎日作業しても一週間はかかりそう。残りの玉ねぎを収穫し、梅はとりあえず手の届くところだけ収穫。庭の中に何やらツルが伸びていてなんだかよく考えてみたら、昨年収穫して食べ残したのを野鳥のために蒔いておいたら芽が出て伸びたのだ。こうなったらツルのために棒を立ててあげよう。

キンデルダイク

風車で有名なキンデルダイクに連れて行ってもらう。

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  前半はフランス中心だったけれど、ここからはオランダ中心に動く。車で連れて行ってもらう楽な動き。

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 キンデルダイクはツアーでオランダに行く人は殆ど行くようだけれど、私は初めて。いろいろな国から来た人たちが運河に沿った道を歩いたりサイクリングしている。

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 それぞれの風車には、運用できる様になった人が住んでいる。その中に観光客に開放しているのがある。

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 風車が付いている一番上の部分は回転するようになっている。だから下には入り口が2つあって、風車と重ならない方から出入りする。鍵は一つだけにしておくそうだ。

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 縦方向についている大きな歯車。

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  一番上の階についている歯車。

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 中は4階になっていて、下の方の階は家族が住めるようになっている。

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 寝るところはベッドが入るだけの独立した空間になっている。扉がついているから、締めたら真っ暗になりそう。

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  6月のこの時期、い花が綺麗。

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  自然農法のチーズを作っているところに寄る。

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  ハーブ入りのを買う。

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 中も見えるようになっている。熟成させる容器に出来たばかりのチーズを入れているところ。

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 熟成させる部屋。
  

ブルージュ

ランスからベルギーのブルージュへ。

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まずはマルクト広場。

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中央に高い鐘楼。

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マルクト広場の隣には市庁舎がある。

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街並みが美しい。

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ベルギーはやっぱりビールの国らしい。

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運河を巡る舟に乗る。

アムステルダムでサイクリング

我が家にホームスティして以来、オランダの息子扱いのヨリスの居るアムステルダムに遊びに行く。

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今はロンドンに家を持っているけれど、そこを貸して半年間アムステルダムに住んでいる。

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アムステルダムセントラル駅からも、そんなに遠くない。キッチンの前にテラスが付いていて、そこでまずお茶をいただく。

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近くの公園の芝生には週末を楽しむ人がいっぱい。

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目の周りが茶色のこのタイプの鳥、日本では見たことがない。ヒナを5羽連れている。

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夕食は何がいいと聞くからインドネシア料理にしてもらう。ご飯も出るからアジアの料理は我々にとってホッとする。

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翌日は自転車を借りて運河沿いを走り、中央駅や港の方へ。

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科学博物館の上は子供が遊べるようになっているし、眺望が素晴らしい。ヨリスの2人の娘エバ8歳とマヤ6歳はどこに行ってもよく遊ぶ。

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この辺りがオランダが最盛期だった頃の港で、見えている船はその頃のもの。長崎の出島に来た船もここから出航したらしい。

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ここから内陸に物資を運んだという古い帆船がいくつも繋留されている。

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ヨリスはギリシャの人口1000人の島にある家を買うことにしたと言う。もちろん遊びに行きますよ。使わない時は貸すのだそうで、その展開なら買うのも可能か。

モーリック城の結婚式

デンボス郊外のモーリック城での結婚式。

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今日の主役は娘たち。

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あちらの親戚と私たちの家族の内輪の結婚式だけれど赤ちゃんも入れると33人。

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8ヶ月の赤ちゃん。

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こちらの赤ちゃんは上の赤ちゃんの甥にあたる。

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この二人の兄弟のうち、左側の兄の方は21年前に我が家にホームステイした。オランダとはそれ以来関係が出来たし、彼らとその両親を娘はオランダの家族と思っている。

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この日は皆でボートクルーズもした。遠くにデンボスの大聖堂が見える。

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表から見たモーリック城。

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すぐそばに湿地が広がる。

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庭が美しい。

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この方は庭師。エコに配慮して、殺虫剤などは使わないなという。

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ミツバチの巣箱を見せてもらう。

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お城の中のホテルに2泊した。

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窓から見える外の景色がきれい。

シャンパーニュ

シャンパーニュ地方の中心、ランスから車で20分ほど行った小さなワイナリーを経営する家族が持つ家に宿泊。

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なだらかな谷いっぱいにぶどう畑が広がる。

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宿の主人が2年前に自ら作ったオブジェがある。

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我々の泊まった家は下が居間と台所、二階に2つベッドルーム。

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スーパーに夕食の食材を買いに行く。パリではモノプリによく行っていたけれど、こちらのは郊外型で、とても大きい。肉のパックの量がどれも多い。この日はご飯を炊いて、カレーとステーキ。

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翌朝、瓶詰めするところを見せてもらう。こちらは年に1万2千本ほど生産するとのこと。

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18歳の娘さんが英語を話さない両親に代わって説明してくれる。この日は午後バカロレアの試験があるそう。将来は編集者になりたいという。

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この家は100年前からワインの醸造をしているそうで、キャップにあるのは、今のご主人のお爺さん。

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村を少し歩いてみる。可愛らしい郵便受け。

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これはマルハナバチの巣だと思う。

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菜園で野菜を作っている。

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あちこちに小さなワイナリーがある。そして所々に昔の写真がある。

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昔の写真は興味ふかい。



藤田嗣治の礼拝堂

パリからオランダに向かう途中、ランスとブルージュに一泊ずつすることにした。ランスを選んだのは、藤田嗣治の礼拝堂を見るためだ。昨年、彼の終の住処で見たイエスやマリアの壁画が印象深かったので、彼が最晩年に作ったというチャペルを是非見たかった。

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シャンパンで有名なマム社のそばにフジタというバス停がある。小さなチャペルだ。

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可愛らしい天使の像。

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主祭壇にはマリアとキリストの絵。

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最後の晩餐。

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天地創造。

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受胎告知。

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イエスの磔刑。

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大聖堂を見てきた目には小さなチャペルだけれど、内部のそこいら中にフジタが最晩年に描いた壁画が描かれている。そしてここにフジタと夫人が眠っている。

ノートルダム寺院

今回のパリ市内はどこに行きたいというのは無いけれど、火災にあったノートルダム寺院がどんな風になっているのか確かめたかった。

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サン=ジェルマンの方からシテ島に向かうと前面の二つの塔が見えてきた。見た目は以前と変わらないからとりあえず、良かったなと思う。

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昨年は、この辺りから、上まで登った。今、上まで登って見たら惨状に目をそらしたくなるんだろうか。

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横に回ると足場が組んであるのが見える。

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ノートルダム寺院から煙が上がっているニュースを見たときには、日本に居る私でも、嘘であってほしいと思った。でも今回、外側だけは残っているのを見てちょっと安心した。

HECの卒業式

MBAの卒業式に親が行くなど、考えていなかった。けれども今回はちょうどオランダに行く用事がある。そして歌のステージの方を優先してMBAの卒業式には出席してやらなかった娘が、とにかく出るべきであると言うので、息子の卒業式に出席した。HECはパリ郊外の広大な敷地の中にある。

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会場は巨大なテント。と言っても建築物みたい。

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式場内部正面はスケルトンになっていて、奥に森が見える。

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卒業生、写真撮影。

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ガウンと、帽子と、藤色のスカーフは式典前に支給される。式は卒業生の入場で始まる。この時と、最後に一人一人名前を呼ばれて証書を渡された時が一番感動。
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式終了後のカクテルパーティ。

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エレキのバイオリン演奏。式の最中の演奏も、とても良かった。

日本人の卒業生は十数人参加していたそうで、ご両親や奥さん、赤ちゃんなどもいる。私も日本からわざわざ来る価値があると思った次第です。

父の裁縫箱

ミシンをやっていて、ふと裁縫箱に目がいった。

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父は75歳まで働いていた。退職後、日本橋の雑貨卸商に勤めていて浦和から通っていた。最後の頃は町内のちょっとした仕事を担当する閑職、年寄り居るとちょっと便利ですという存在だったと思う。もともと激しい気性ではない、おとなしい人間に入るだろう。でも私の小さい頃は家の貯金をはたいて買ったというオートバイで、よく釣りに行っていた。マージャンも良くしていた。
でも年取ってからの楽しみは大工だった。特に退職してから79歳で亡くなるまで、動ける間は毎日物置に首を突っ込んで何か作っていた。その頃、私がこんなのを作って欲しいと図を描いて頼んだのが裁縫箱だ。今となっては父が作ったものといって、これしか残っていない。たくさん残っていても困るけれど、一つだけというと、愛おしい。

久しぶりにミシン

一人で東御に来るのは1年以上ぶり。この後半月ほど日本を留守にするから、昨夜来て2泊で畑の手入れをして、ワラビ採りにも行くつもりでいた。ところが今日は朝から雨。降水確率が100パーセント。外に出るのは諦めて家の中にいる。
久しぶりにミシンを取り出す。使い方も忘れているかと、そしてミシン機能不全ではと、心配したけれど、なんとか使えた。まず、藍染の麻の暖簾の白い部分がよれて穴の空いたのを補強。

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これは応急処置で、この夏持てばいいかというところ。藍染は殺菌作用があるとか、布地を強くすると言うけれど、この暖簾の白いところだけよれているのを見ると、よく理解できる。

あとは昨日軽井沢のショッピングモールのAIGLEでそれぞれ50パーセントと70パーセントオフで買ってきたズボンとシャツの裾あげ。

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とりあえず必要性が高い作業を極めて大雑把に済ませた。

手作り石鹸

棚の箱を開けたら思わぬものが出てきた。

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手作り石鹸。作ってから十年ぐらい経っている。この頃、取り出してみると10年以上そのままにしてたというのが多くなってきた。ジャム、果実酒なんて保存食ばかりでなく、フェルトで作ったバックだの、編みためた靴下だの。そして買い貯めたいろいろなもの。ゴミ屋敷ってのも、あながち人ごとじゃなくなってきた。

びわ湖疎水船

三井寺近くの大津閘門から乗船して蹴上まで約8キロのびわ湖疎水を船で行く体験をした。疎水の着工は明治18年。未曾有の大土木工事だった。

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大津の街にはまだ市電が走っていた。JRで大津駅を降りて、琵琶湖畔港にある京阪石山本線の三井寺駅の方まで降りの道。

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びわ湖の水を二ヶ所から取水する大津閘門。びわ湖疎水の高低差は4メートルで、琵琶湖が高くて京都が低い。

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12人乗りの船。疎水の幅は狭いからこの大きさがリミットだろう。

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すぐに第1トンネルの入り口。

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日本で初めて竪坑方式で作られた2436メートルのトンネル。

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途中に疎水を計画した京都府第3代知事の北垣国道の扁額がある。

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トンネルは長くて出口が近づくと明るさが目にしみる。

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途中にかかる橋に煉瓦造が残る。

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第3トンネル、長さ850メートル。各トンネルの入り口には伊藤博文、山県有朋ら明治の元勲の扁額がかかる。

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疎水べりにアオサギがいた。

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第3トンネルを抜けて旧御所水道ポンプ室前で終了。

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建物の設計は赤坂迎賓館や奈良国立博物館などを手掛けた片山東熊。

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ここから船はインクラインで運んで、下でもう一度疎水に乗せる。

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インクラインのそばには21歳で疎水の設計者として起用された田邊朔郎の像が立つ。

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そばには彼が建てた殉職者の碑も立つ。

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のちに作られた地下を通る第二疎水の水と合流させて、ここから蹴上発電所に水を流す。

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蹴上発電所は日本初の営業用発電所であり、その電力で京都の市電は日本最初のものになった。

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この後、びわ湖疎水の流れる南禅寺の水路閣の下を通った。

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水路閣の上は今も疎水の水が流れている。

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疎水沿いの哲学の道を行き、永観堂の見返り阿弥陀を拝観。

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午後は鹿ケ谷から大文字山に登る。霊巌寺のあたりにマムシ出没注意とある。途中、土色のヘビに会い、ワッと声をあげるも、歩き続ける。山頂からの景色、今日はちょっと霞んでいた。

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最期の方に天の岩戸がある。

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京都に勧請した伊勢神宮のようで内宮があり外宮もある。

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階段を登って、

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伊勢神宮遥拝所がある。

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下りきって再び蹴上に戻った。








京都に来た

あと1ヶ月妙に忙しいので迷ったものの予定通り京都に来た。琵琶湖疎水を船で巡りたいし、葵祭りも見たい。京都移住計画も立てていたのだし、叶わないなら月一京都と考えていたのだから、寝るところを3泊京都にしただけと捉えることにした。その意味ではアンテルーム京都は京都駅八条口から歩いて10分以上もかかるものの、パソコンを使ったり、本を読むのに極めて快適、しかもこの時期お安いのはありがたい。

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今回は携帯用の照明を持参した。

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最近、何度も読み返しているのはこの本。余命があまりないと知った筆者が死ぬなら京都がいいと思い、実行に移した。私もこの先それほど長く生きるとも言えないから、やりたいことをやるぞと思う。「死ぬなら京都が一番いい」は、とてもわかりやすく京都の魅力を解説している。それで今日の午後はまずは小林玖仁男氏おススメの京都駅。

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京都拉麺小路で京都の味噌味チャーシュー麺を食べる。もう3時過ぎだったので、さほど並ばなかったけれど、お昼時は凄い人だろう。細麺でチャーシューたっぷり、味が素晴らしい。ただし我が家のいつもの味の倍の濃さ。次に抹茶ソフトを目指して中村藤吉に行くものの、歩き食べのソフトクリームではなく、席について食べる形式で、並ぶズクは無かったので取りやめ。

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原広司氏設計の京都駅ビルはやっぱり素晴らしい。ちょうど軽音楽の演奏をやっていた。ザ・ピーナッツと坂本九を聴いて昔を振り返る。







熊野速玉大社 熊野5

 新宮市は熊野の中心都市に思えた。木材の集散地として栄えた。中上健二、佐藤春夫はここの出身である。

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 熊野速玉大社に参詣する。

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  朱塗りの建物が美しい。

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  境内にある巨大ななぎの木は御神木。そばにあるみかん屋さんが枝をくださる。

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  速玉大社は熊野川の河口に面している。対岸は三重県。かつてこの川をいかだに組んだ木材が上流から運ばれてきた。この日見た熊野川は穏やかだったけれど、時に激しい洪水を起こしてきた。

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  境内にある売店では様々なみかんを売っている。このあたりにはみかんの専門店が多く、聞いたことのない様々なみかんが売られている。何種類か買ってみた。

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  目に付いたのは和歌山県の飛び地である北山村にしかないというジャバラ(邪払)という柑橘類。このあとジャバラ関連商品は花粉症に利くなどで、いろいろなところで見た。北山村は人口400人ちょっとの村ながら健闘している。大台ケ原方面から来たいかだに組んだ材木の中継点だったことから、木材集散地の新宮との関係が深かった。そのせいで和歌山県に残ることを望み、県を作る時に三重県と奈良県に挟まれた日本で唯一の村からなる飛び地になったという。

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 速玉大社の境内にはジャバラの小さな木が植えられていた。

補陀洛山寺 熊野4

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熊野那智大社を海岸近くまで下って来ると補陀落山寺がある。この寺では観音様の南方補陀落浄土を目指して、生きながら渡海する補陀落渡海が行われていた。山形県で見た僧侶のミイラ、即身仏になるのと同じような考え方か。

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今は面していないけれど、かつては境内が直接海に面していたのだろう。

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境内には補陀落渡海した人の名前と、船の形を彫った石碑が立っている。

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868年から1720年に補陀落渡海した25人ほどの名前が見える。

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こちらの絵は大斎原にあった補陀落渡海の絵。

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補陀落山寺の再現した船のある建物は閉まっていてみられなかったけれど、こちらには上の絵から起こしたらしい、そして多分補陀落山寺の船と同じ形と思われる模型が展示されていた。四方に鳥居がある。建物の中に数日分の食料とともに僧侶が入り、中からは出られなくしてしまう。ここの海岸をはなれれば黒潮によって遠くに流されてしまう。

青岸渡寺 那智滝 熊野3

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熊野那智大社の隣に青岸渡寺がある。もとは那智滝を中心に神仏習合だったものが、明治になって別々になった。神仏分離令では、お寺が姿を消すことが多い中で、こちらは残った。

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青岸渡寺は那智大社よりも活気があるように見える。それもそのはず、西国札所33カ所の第1番だ。江戸時代に熊野詣ではあまり盛んで無くなり、でもその代わり伊勢参詣のあと、伊勢路を通って青岸渡寺に来る人は多かったようだ。

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おりしも桜が満開。

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青岸渡寺から石畳の道を下って、那智滝に近づく。

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近づくと、迫力が増す。

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落差133メートル、海からも聖なる滝が見えるロケーション。

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滝の上の、銚子口は三筋になっている。

大門坂から熊野那智大社 熊野2

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熊野三山の旅の始まりは那智大社から。大門坂を歩く。鳥居をくぐり、橋を渡ると石畳の登りの道になる。

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石畳の道の両側にある夫婦杉。

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登りはいなくて、下りの人とすれ違う。バスで来たら大門坂は下りで体験するというのが、負担が少なそう。

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だいぶ登って、大社まであと少しの所に実方院という、上皇らが過ごした跡があった。それから南方熊楠が2年ちょっと過ごした家もあった。


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海が見える。

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那智の滝も見えてきた。

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階段を登りきると熊野那智大社に出る。

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八咫烏が登場。


エルトゥールル号の遭難と白蝶貝の採取 熊野1

旅の始まりに、富士山が見えると嬉しくなる。
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4月2日から5日まで熊野の旅。関空イン・アウトでレンタカーの旅。いつも通り、運転はお任せで、とっても快適。

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西海岸を南下して潮岬に出る。本州の最南端にあたり、陸繋島にある。串本はその陸繋砂州(トンボロ)上にある街だ。陸繋島の東には大島がある。民謡で唄われているように、かつて串本と大島は巡航船が繋いでいたけれど今は立派な橋で繋がっている。大島にかけての海には近畿大学のマグロ養殖場が広がる。昼食はこの近大マグロ丼をいただく。トロリとして美味。

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潮岬を南に行けばオーストラリアだ。

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潮岬の付近は芝生に覆われた気持ちのいい所になっている。ここに資料館があって、かつて串本の人々がオーストラリアのアラフラ海に白蝶貝の採取に行っていた時の資料が展示されている。

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白蝶貝はボタンなどに使用され、高価に売買されていた。

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白蝶貝の採取のための潜水は危険を伴う。

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頭にはタコの頭みたいのをつけ、

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潜水服をつけた。命を落とす人が多かった。

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アラフラ海の木曜島が活躍の中心だった。

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大島の東端の岩礁では1890年(明治23年)にオスマントルコ帝国のエルトゥールル号が遭難している。587名が死亡、救出されたのはわずか69名。この時の救出にトルコの人々が感謝していて、イラン・イラク戦争時に日本人救出のために飛行機を用意してくれた。内田聖陽主演の「海難」の映画の最初にはエルドアン大統領が挨拶していた。

三渓園

横浜に行く機会があるといつも三渓園に足を伸ばしたいと思っていた。でも、ちょっとアクセスが悪い。今回は三渓園を訪れる為に横浜に行った。何しろ桜の季節である。原三渓は生糸の取引で財を成した実業家で、この地に屋敷を構え、各地の由緒ある建築物を移築して、人々に開放した。原三渓の足跡を辿る展示によれば茶人、画家でもあり、多くの人々と交流があり、岡倉天心、夏目漱石、芥川龍之介などの名もある。

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園内に入ってまず目につくのは池の向こうの山にある三重塔。山口の瑠璃光寺のもこんな風なんだろうか。

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山に登って見ると、しっかりした作りの塔だ。この辺りから昔は海も見えたのだろう。

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屋根のある橋。マジソン郡じゃないけれど、橋に屋根が付いているのは惹かれる。

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こんな風な西本願寺の飛雲閣みたいのもいい。東本願寺の渉成園もこういう建物だった。

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折しも桜が満開で、躑躅、木蓮の花木の他、下を見ればスミレなど草花が咲く。園内はとても広く、自然な風情。

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春本番を実感する一日だった。3月31日。

大島のキョン

山上たつひこの漫画「がきデカ」の、主人公こまわり君は時々「八丈島のキョン」のポーズをした。あの頃、八丈島にはキョンという、犬ぐらいの大きさの鹿がいると知って、いずれは対面したいものだと思っていた。そんな小さな鹿がいるなんて可愛いではないか。今日は八丈島ではなくて、伊豆大島でキョンに対面した。


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  都立大島公園は植物園、椿園、動物園からなる広い公園である。私の最大の目的は動物園に行ってキョンに会うこと。動物園はライオンとか象のような派手な動物はいなくておっとりした雰囲気。以外と広くてキョンがなかなか見つからない。やっと肩に赤い大きなオウムを乗せた飼育員の方を見つけ聞いたら、わざわざ案内してくれた。

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 キョンは動物園の目立たないところに飼われていた。それもそのはず、大島動物園では、台湾や中国南部にいるキョンを飼っていたら台風で壊れた柵の間から逃げ出し、天敵がいないことからあっという間に増えて今や人間の人口7500人を超す1万頭以上になり、困った存在なのだ。あと、大島では猿も人より多い。

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  キョンの園舎は上からしか見られない。だから目の前でじっくり見るわけにいかない。

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 中型の犬よりは大きい。鹿ほどはスマートな容姿ではない。全体に茶色っぽい。 

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  お尻のあたり、ちょっと不格好。

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 前日で椿祭りが終わった椿園の椿の花は盛りの時期を過ぎている。大島の椿というと、やぶ椿だけれど、こちらには様々な椿の木が集められている。でも私にとってうれしかったのは園内のあちこちに大島桜が咲いていたことだ。

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 大島桜は色が少し白くて、花の時には葉が少し出ている。

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 ソメイヨシノのような華やかさはないけれど、落ち着いた味わい。

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 園内のシダは芽を出していた。

大島三原山

  ジェット船で行く日帰りのツアーに参加したという人の話を聞いて,早速大島に行ってきた。往復の船代よりもはるかにお安い料金でバスツアーまでついている。竹芝桟橋から1時間45分で岡田港に着いた。

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まずは西海岸を南下して、通称バームクーヘンと呼ばれれる千波地層切断面を見学。

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大島は今日まで何度も噴火を繰り返し、火山の標本みたいな島だ。ジオパークにもなっている。

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ここから南の方に島が見える。左の三角形の島が利島(としま)。左側が新島。真ん中にうっすらと見えるのは神津島。左の方に見えるはずの三宅島は良く見えない。

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元町から御神火スカイラインを登りだすと、北の海の向こうに富士山が見えてきた。

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昔は分布状態から富士山から伊豆、小笠原にかけてを富士火山帯と言っていた。今は構造からプレートテクトニクスで説明するようになった。つまり北アメリカプレートとフィリピン海プレートの境目に沿って火山が分布する。フィリピン海プレートの先端に富士山があり、相模湾から南に伊豆小笠原海溝がのび、それに沿って伊豆七島などの火山がある。

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三原山山頂口から三原山(758m)を眺める。二重の外輪山の上から眺めたことになる。前に広がるのがカルデラだ。道が内輪山に向かって続いている。往復2時間ほどだから行きたいところだけれど、ここは1時間の滞在。それにここから外輪山をちょっと行けば火口展望台があることに後から気づき、残念な気持ちが残った。ま、今回は大島の下見ということにしよう。

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大島観光ホテルで「島っこ御膳」の昼食をとる。金目鯛の煮付けや明日葉を利用した料理が並ぶ。こちらのホテルは標高500m。昭和61年の外輪山の外側からの噴火としては500年ぶりの大噴火で、ホテルのすぐ前まで溶岩が来たけれど奇跡的に建物は残り、今も営業を続けている。眼前の植物でおおわれているカルデラは、噴火当時は岩がごつごつであった。源泉が近くにあるものの、飲料水はすべて運んでいるという。
 大島に行く前日にNHKプロジェクトXの、三原山噴火時に13時間で完了した「史上最大の脱出作戦」を見た。昭和61年当時の人口1万人の全島民脱出作戦だった。溶岩流は元町港の200m手前で止まり、1カ月後に島民が帰島した。あれから30年、そろそろ次の噴火があるかもしれませんと島の人が言っていた。

チビのチューリップ

東御では桜の開花は1ヶ月も先だろうし、チューリップもスイセンもまだまだ。ところがチビのチューリップだけは咲いている。

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オランダから帰る時にいつもチューリップの球根を買って帰る。たいがいは黒か青にする。ところが3年前に買った黒のチューリップが咲いてみたら、出来損ないみたいに背が低くて赤色だった。業者が間違えて、あるいは故意に入れたのかと腹立たしかった。

チューリップは、よほど上手に育てないと翌年は咲かない。従って私のチューリップは翌年は葉を出すだけか、花をつけても弱々しい。ところがこのチビチューリップは翌年も花を付けた。そして今年も、花を付けている。しかも、通路の横のザラザラしたところで、手入れもしていない。

普通チューリップは花の下が長い。高校の時にはチューリップというあだ名の教師がいたぐらいだ。ところが、この赤いチューリップは花の下がやけに短い。こういうの、ちょっと目にしない。かくして、今年は妙に貴重で可愛く見えてきた。

今日は満月

八重原台地に登る車中から見る月は大きかった。

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調べたら今日は満月。1ヶ月前に日光湯元の露天風呂から見た月はスーパームーンだった。湯舟に浸かって雲に隠れたり姿を現わす月の姿をしばらく見ていた。あれから1ヶ月経っても月の姿は大きい。

昔は電気の灯りなんてなかったから、月が有るか無いかは大きな違いだったろう。以前ネパールを歩いていた時に次の村に着く前に真っ暗になった。月の無い日だった。でもそのあと行ったランタン谷では、月の明るい時にあたり、6000mの山々がハッキリと見えて、神々しかった。あの時初めて新月と満月の違いを知った。

かつて日本の暦は太陰太陽暦で月の満ち欠けに対応していた。考えて見れば月の満ち欠けは日常生活に大きく影響していたのだ。花鳥風月と言うぐらいだから、月は鑑賞の対象でもあったのだ。

数年前に白山に登った時に、早朝歩き出したら、間も無く下っくる地元の老人に会った。今朝早く山頂を出たのですかと聞いたら、月が明るいので家を夜出て登り、今下りだと言う。私は日の落ちた山は恐ろしいとばかり思っていたのに、この方は月明かりの山歩きを楽しんでいらっしゃるのだ。私の感性は随分退化していると感じた。3月21日。

桑田佳介 「ひとり紅白歌合戦」

4ヶ月ぶりの東御。今までこんなに長く来ないことはなかった。長い冬の夜、ハナが付いてこないこちらで一人で過ごす気がしなかった。でもいよいよ春だ。友人が来てくれて、今日は一緒に夫神岳に登った。夜、チューナーを使って、iPhonesにテレビが繋がるよう設定してみた。
繋げると、まさにNHKで桑田佳祐の「ひとり紅白歌合戦」をやっているところだった。「Act Against AIDS 」の一環でこの10年で3回公演し、170曲をカバーしたという。彼のイメージはロックというかJポップと言うのか紅白や歌謡曲からは距離を置いているイメージがあった。彼自身もかつては歌謡曲に興味が無かったようだ。それが、大衆音楽の偉大な歴史に気づき、「ひとり紅白」て歌いつぐ気になった。歌ってみると、それらの歌のもつものが理解でき、桑田佳祐にとっても新境地が拓けたという。

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北島三郎、美空ひばり、前川清、いしだあゆみ、南こうせつ、イルカ、沢田研二、井上陽水、ユーミン、中島みゆき、寺尾聡、山口百恵、ちあきなおみ、グループサウンズなど次々に桑田佳祐流に歌う映像とともに、番組では歌手や歌への想いを語っていく。これら私も納得の歌手ばかりでなく、和田アキ子だのクレージーキャッツ、ドリフターズなども高く評価していて、私もそんな気になってくる。

お陰で私もすっかり演歌・歌謡曲を再評価する気分になった。そしてお休みを頂いている歌の先生のところに行って再開しようかと思った。でもその前に、桑田佳祐みたいに、自分流に歌いこむ姿勢を作りたい。



新倉山浅間神社

富士山麓旅行の最初は、新倉山浅間神社。最近こちらの忠霊塔であるところの五重塔、咲き誇る桜、そして雪をいただく富士山の写真をよく見るようになった。何しろミシェラン のグリーンガイドジャパンの表紙にも採用されている。

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インスタ映え効果のせいか、外国人ばかりか日本人も増えたようで、駐車場に至る狭い道ではすれ違う車に気を使う。麓の新倉山浅間神社にお参りしてから、整備された急な階段を登る。斜面一帯にさくらが植林されている。

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五重塔が忠霊塔とは理解に苦しむものの、神仏分離の影響を受けた結果と推定される。それにしても寺院の五重塔ではないというのはなにがしか虚ろだ。

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忠霊塔の後ろの段の上が写真スペース。



大崎の芳水小学校

目黒雅叙園から目黒川沿いに五反田まで歩く。

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目黒川沿いは桜の木が続いていて、開花はあと3週間ぐらい後か。国道1号に出て、さらに大崎駅の方向に向かう。大崎は私が幼稚園から小学校3年生までの4年間を過ごした所だ。途中、大崎警察署がある。通りかかると囚人の護送車らしい周りを網で囲った車をよく見かけた。それから大正大学。学生たちがやっていた日曜学校みたいのに時々通った。五反田にマーケットがあって、買い物かごを下げて買い物に行く母に飼い犬みたいに毎日ついて行ったものだ。あの頃の目黒川はとっても汚かった。

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大崎陸橋の下の社宅に住んでいた。そのころには、陸橋から降りて来る階段があって、道を挟んだ建物の片隅に住んでいた。

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この建物に企業の名前が残っていた。あのころは石炭を扱っていて、こちらの会社の景気が良くて、父の勤務する会社を子会社にしていた。今は建物だけのようだけれど、広い敷地があって、石炭置き場があった。

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大崎陸橋の上に立ってみる。周辺に高層の建物が並んでいる。

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昔は、よく橋の上に立って貨物列車が何台の貨車を連ねているか数えたものだ。多いので40台ぐらいだった。蒸気機関車が黒煙を上げてやってくると、その煙の中に入って喜んでいた。

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社宅のそばに小さなパン屋があった。そこのたっちゃんは私と同学年で、親同士が仲良くなったので一緒に幼稚園に通うことになった。当時は子供だけで幼稚園に通ったのである。でもたっちゃんは、ものすごく動きがゆっくりで迎えに行くといつも待たされた。この後、いつも遊んでいた方向に歩いていく。この辺りは登りになっていて、右手にお墓があり、まわりが原っぱで良く遊んだものだ。今は見事に整備されている。

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寄木神社の階段。

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寄木神社の境内でもよく遊んだ。今はとても綺麗な神社になっているけれど、かつては古ぼけた神社で、境内もコンクリートで固められてはいなかった。

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思えば、この半世紀でテレビはボケた白黒画面から、クリアーなカラー画面になった。そんな風に都会の風景も一変した。原っぱだの水たまりだの、管理が届いていないものがなくなってしまった。そして外で遊ぶ子供の姿が消えてしまった。

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寄木神社を出て、芳水小学校の裏をかすめて、大崎幼稚園に行く。どこも道路が狭いし、極めて狭い範囲にすべてがある。子供のころは道路も広く見えていたし、もっと広い世界で行動しているつもりだった。

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深谷のはずれから上京して、入ったのが大崎幼稚園。私の父も母も、どちらも50歳の恥かきっ子として生まれていて、さらに私は末っ子だから、いとこはすべて年上。一番上のいとこは父と同じ年。その全て年上のいとこの誰も幼稚園に行っていないから、私がいとこの中で唯一幼稚園に行ったことになる。私の幼稚園入園はなかなか苦労の多いものだった。田舎から出てきて、突然幼稚園に入ったのだから、都会っ子のスピードにはついていけなかった。それに無菌のところから雑菌の繁殖する都会に放り出されたのだから、次々に伝染病におかされた。

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3年間通った芳水小学校は改築中だった。近くに明電舎があり、その社長夫妻が小学校を作って寄付した、社長の名前を取って芳水小学校と命名されましたと、何度も聞かされていた。最近創立100周年を迎えたらしい。

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工事中なので横に臨時の入り口がある。よく見ると、関係者以外は入れないように門扉があり閉まっている。今や小学校は近所の人が散歩しながら敷地に入るなんて時代じゃないのだ。芳水小学校は外部のものを全く寄せ付けず、昔を懐かしむなど思いもよらない雰囲気。家に残る入学式の記念写真に写っていた桜の木も、外からはうかがえない。

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でも小学校の横にある品川区立大崎図書館の入り口にある少女像が目に入ってきた。

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これは校舎の後ろの崖の下にあったブロンズ像ではないか。小鳥を抱く少女には見覚えがある。図書館に入って像のことを聞くと、芳水小学校の改築にあたって、臨時にここにあるのだという。この日、唯一会えた昔のもの。胸が熱くなった。昔のものに会えるとどうしてこんなに嬉しいんだろう。

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少女像の下にはこんなプレートがある。

 4年生の時に浦和に引っ越して今も住んでいる。そうすると大崎・五反田はほとんど通らないし、行かない。だから大崎に行ったのはこの半世紀余りで2回目だ。あの頃、時々繁華街に行くとすると、それは戸越銀座だった。電車で行くとすると渋谷だった。駅前にあったのは東横デパートだったろうか、その入り口にはいつも何人かの白服の傷痍軍人が楽器を演奏して、お金を集めていた。今思えば終戦からそれほど時間がたっていなかったのだ。

百段雛まつり

目黒にあるホテル雅叙園の百段雛まつりを見てきた。百段階段は旧目黒雅叙園にあった、唯一残ってる建物である。

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実際には99の階段があり、途中に趣向を凝らした豪華な部屋が7つある。今回はお雛様というよりも、建物自体に興味があった。何しろ「千と千尋の神隠し」の舞台である。

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部屋そのものを鑑賞するなら、展示がない時の方がいいかもしれない。お雛様が飾ってあると、部屋そのものが隠れてしまうし、照明が暗い。(写真は案内書より)

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今回のお雛様は青森、秋田、山形のもので、北前船の往来がこの地に富と京の文化をもたらしていた。この写真は酒田のもので傘福というつるし雛が見える。圧巻だったのは紅花で栄えた河北町の古今雛。

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お雛様を見てからホテル雅叙園のエントランス部分を歩いてみる。こちらも、豪華な空間。

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噂に聞いていた豪華なトイレを見つけた。

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中に入ると朱塗りの橋。

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天井絵。

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個室の中まで撮るのってどうなんでしょうね。