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マルハナバチのつぶやき

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マルハナバチのつぶやき
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信州の週末田舎暮らし、植物、昆虫、旅行、山歩き、自転車旅の記録です。そして歴史歩きも。
Bumblebees' Garden in English
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この頃ハナちゃん落ち着いた感じ

2018/11/10 11:35
一時は夜泣きをして、認知症になったかしらと心配したけれど、この頃ハナちゃん落ち着いています。

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夏はやっぱり寝室のエアコンが嫌だったんでしょうね。別の部屋に行っては大きな声で泣き、これからが思いやられました。今は常温なので、私の頭の左側が定位置です。でも一晩うるさく泣くことがありました。私もハナの後を付いて歩いてはまた寝るのを10回ほど繰り返して、ホトホト嫌になりました。最後にふと見ると、猫砂の蓋が反対向きにかぶせてあって、中に入れないで居たのでした。
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焼き芋

2018/11/06 06:34
紅芋と安納芋の苗を植えたのに、掘ってみたらほとんどが、紫芋だった。

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結構大きい。マルチをするようになってから、大きなサツマイモが取れるようになったのだ。

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今回は焼き芋にした。火が炎を立てなくなってから、アルミホイルにくるんだサツマイモを埋めておく。玉ねぎ丸のままと、ジャガイモも焼く。

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紫芋の焼き芋というのは、聞かないけれど、思ったよりいい。ジャガイモにバターをのせてジャックポテトにして食べる。タマネギは甘くてとろけるような出来。さらに紅芋にバターばかりかハチミツもかけてみた。
こちらに来て15年。バーベキューはやるものの、焼き芋をやったのは初めて。なんで今までやらなかったんだろう。
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大根いろいろ

2018/11/05 10:15
道の駅「雷電くるみの里」。今回は店内が配置換えしてあって野菜の種類が豊富で、しかも安い。

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左から黒大根、紅しぐれ大根、紅くるり大根、そしてカボチャのコリンキー。

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黒大根は中も真っ黒なのかと思って切ってみたら、ふつうに白だった。早速おでんに入れて食べた。紅しぐれ大根は以前直売所で買ったことがある。浅漬けにすると、紅色が綺麗に出る。コリンキーは私には初めてのカボチャで、生で食べられそうだから、まずはサラダにしよう。味はズッキーニに似てるんだろうか。
袋には「ままらいふ」とある。ネットで調べてみると住所が滋野になっている。これからも、いろいろな野菜が楽しみ。ひょっとすると普段見ない野菜が置いてあった「まるや」さんと同じ人が出品しているのか。
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干柿吊るした

2018/11/03 07:56
友人二人が柿の皮をむいてくれ、私が紐に通す役割。夜なべ仕事を3日やった。

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結構な作業だったけれど、軒の下に吊るすと、それほどの量には見えない。昨年はカビが入ったから、今年はむいた柿を、まず焼酎につけた。
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濃茶をいただく

2018/10/23 22:49
時代祭りが終わって寺町通りを歩いていたら一保堂の本店を通りかかった。店先のお茶売り場は、外国人客も居て、混みあっている。それぞれの客に、店の人は商品を丁寧に説明している。スペイン語で話している店員もいる。

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一度入ってみたかったけれど、一人では入りづらかった。この日は連れが2人居たから、20分ほど待つのも気にせず喫茶部の席に着いた。

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濃茶をお願いする。抹茶碗の中には漆の光沢の濃緑色のものが見えて、それが濃茶だった。いただくと、気持ちが覚醒する感じ。こちらは練って作るとの説明。次にこの碗で、今度は薄茶を立ててくださる。残っていた濃茶の分量でお湯の量を調節するそう。こちらの店の方は皆さん、親切で、そういうことに疎い私の質問にわかりやすく答えてくださって有難い。おかげで、お点前など知らないながら、夜はネットで初心者向けお茶道具一式なんてのを眺める気になった。山荘に1人でいるときに、お茶を立てるなんていいではないか。
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これで1500円

2018/10/16 09:30
この頃正攻法ではなくて、視点を変えた歴史本が目につく。漫画に関して言えば池田理代子の「ベルサイユのバラ」とか山岸凉子の「日出処の天子」を大分前に読んでそれ以後しばらく読んでいなかった。それが最近になって、あんの秀子の「ちはやと覚える百人一首」を手にして、この世界はとても進化しているじゃないかと思った。今や東京ビッグサイトで夏冬開かれるコミックマーケットの参加者は60万人、漫画はすごい広がりを見せているわけだ。そしてこの界隈には現代の才能溢れる人々が出入りしているわけで、作品内容も進化している。
さして漫画を読まなかった私ではあるけれど、ここに来てちょっと読む気になった。今更エントリーするのも遅いと言うべきだけれど、スマホと同じで旧世代といえども、このあたりの恩恵は受けておく気になった。

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まずは「テルマエ・ロマエ」のヤマザキマリ関連。ブックオフで注文したら1500円で12冊来た。彼女のだけでは足りなかったので目に付いた堀江宏樹の「乙女の日本史」も入れておいた。

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結局「乙女の日本史」を読み始めた。女性史観が新しい。イラストと漫画が入っていて、絶妙な編集。この頃、編集技術が進化している。この本の著者はてっきり女性だと思っていて、ふと名前を見ると男の名前。興味を持ったのでまた1500円分注文した。かくしてこの頃図書館に行ってない。断捨離から遠い生活。

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佐伯牧場 北根室ランチウェイ6

2018/10/14 00:47
佐伯牧場に泊まって、牧場内を見て歩き、夜は八戸の環境省の方とも一緒に過ごし、佐伯さんとたくさんお話をしたことを思い出すと、今も気持ちが高鳴ってしまう。

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 佐伯さんは牧場を経営しながら、北根室ランチウェイをひらいたばかりでなく、小屋も作るし、すてきな木工作品を作るのだ。

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 作品がとってもやさしい。

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 あんまり考えず作るんですというけれど、それは木の枝の本来持っているものを感じ取って制作するからだろう。

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  組み合わせたのもある。

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  広い敷地にいろいろな建物がある中の一つが、佐伯さんのアトリエ。奥のほうも見学させてもらう。 

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  ランチウェイの看板はステンシルで作るそう。

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 鍵をかけておくのに便利そう。そういえば、環境省の「みちのく潮風トレイル」のマークは佐伯さんの木工からおこしたものだ。

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 牧場内にはいろいろな建物がある。これは「帰農館」。集会が出来そう。

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 パンスタンド。「牧舎」で焼いたパンをここで販売する。

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  燻製小屋。こちらはお友達と1日でたててしまったそう。でもその前に準備に時間がかかっているはず。我が家の山荘にも家人がこんなのをあっという間に建ててくれるといいんだけど。参考にいろいろな角度から写真を撮っておいた。

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 「荒川版画美術館」の看板が出ている。入場料無料。

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 これはたしか薪小屋。


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佐伯牧場へ 北根室ランチウェイ5

2018/10/13 00:23
 養老牛温泉からちょっとの間、舗装路を歩いた。後で聞いたら道路に沿ってトレイルが作られていると言われた。
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 また森の中に入る。

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 クマ除け様のシンバルみたいなのがある。確かにこんな森の中はばったり出会いそう。何しろこちらがいることを知らせるのが大切だから何度もたたいて大きな音を出しておいた。

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  牧場の中を歩く。

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 馬もいる。

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  人だけが通れるように扉がある。

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  横田牧場さんを通過させてもらっているのだ。

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 牧場を出ると猫が歩いてきた。

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 牛みたいに、首に何かつけている。こういうところの猫は自由に歩けてよさそう。

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  この川を渡ると佐伯牧場だ。それにしても板が渡してあるだけだから、ちょっと緊張する。

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  芝生の中にいろいろなオブジェがある。

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  レストラン「牧舎」。次の日はここでゆっくりお茶しようと思ていたら木曜日は定休日だった。でもこの日はまだやっていたので、夕食用にカレーとチーズケーキを取り置きしてもらった。

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  こちらの2階に泊めてもらうことに。

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 部屋はとても快適。
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養老牛温泉 北根室ランチウェイ4

2018/10/12 00:02
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北根室ランチウェイで出会った中でも、大きな木。いろいろなタイプのサインが使われている。

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  キノコには結構出会った。

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 この時期あまり花が咲いてない。ミヤマハコベだろうか、この時期咲いている花は貴重だ。

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  養老牛温泉に出た。「ようろううし」と読む。アイヌ語からきている。松浦武四郎もこの地を踏んでいるけれど、和人にはあまり知られていなかったようだ。
 大正5年に西村武重は、養老牛から15キロほど南西にある虹別のアイヌの長老から、アイヌの人たちはこのあたりで300年も前から季節ごとに熊を狩り、ヤマベを釣り、湯治をしていたことを知った。そして養老牛温泉までたどり着くと、小高い所に熊の頭骨が50〜60個も並び若木を削った木幣(イナウ)が立てかけてあるのが見えた。それが現在のカラマツの湯があるところで、現在温泉があるところにも熊送りの祭壇があった。「実に荘厳で神秘的なものだった」と記録している。西村は北海道庁に温泉の許可申請をし、馬車道を新設し、大正9年に養老園を開業した。

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  昭和40年代には6件の宿があった。
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  今は2件のみ。温泉だからいろいろな施設があるかと思っていたらとても静かなところだった。養老牛の由来を書いた看板が一か所だけあり、興味深い写真が出ていたので、写させてもらった。
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モアン山 北根室ランチウェイ3

2018/10/11 06:33
西別岳山小屋に泊まったのは私たち2人だけだったけれど、朝出かける頃になると70前後と思しき男のひとたちがそれぞれにやって来て、車を置いて西別岳の方に登って行った。台風が過ぎて皆さん動き出した模様。
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小屋から4.3キロは森の中のダラダラとした砂利道を歩く。森が終わったところに始めてランチウェイの標識が出てきた。ここまでは国立公園だから標識が立てられない地域だったのだ。

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左側が森で右側が牧場の道をしばらく行く。いよいよ牧場(ランチ)を見ながら歩くわけだ。

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トレイル歩きは自己責任とある。

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「Use a bell.Let bears know you are approaching.」和製英語じゃない感じ。

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熊よけの鐘が3箇所ある。

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ケネカ川を渡る。川には水があるし、魚が居るからヒグマもウロウロするのだろう。ケネカ湿原はちょっとジメッとした森の中。

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湿原を過ぎるとカンジウシ山が見えてきた。

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さらに行くとモアン山、356.7mが見えてきた。とってもいい景色だ。北根室ランチウェイで一番いいところじゃないだろうか。この景色を思い浮かべるたびに何度でも行きたくなる。

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モアン山は夏の間は放牧に使われているから、登ることはできない。

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ここで、佐伯牧場に電話して今日の宿をお願いする。この辺りヒグマがいますから、しっかり笛を吹いて来るように言われた。

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クジャクチョウが沢山飛んでる。この日歩いたのは26.3キロ。10月3日。
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西別岳山小屋 北根室ランチウェイ2

2018/10/10 06:30
 北根室ランチウェイの最初の宿は西別岳山小屋。

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  避難小屋にしてはログハウスのしっかりした素敵な建物。広々としたところに建っているし、林道が通っているから車も入れる。でも、この日に宿泊したのは我々二人だけ。

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 水はない。それはわかっていたから2日分の水を運んできた。もちろん食事は出ないから、バーナーを持ってきたし、女満別空港そばのニッポンレンタカーでカートリッジを手に入れてきた。

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 布団はたくさんあった。人数が多ければまわってこないだろうから、寝袋持参が無難だろうけれど、この時期の平日はすいていると思ったから寝袋は持って来ていない。

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 本がたくさんある。この小屋で何日か過ごしたら快適そう。実際次の日に会った青年は4日間ここに滞在し、2日間は一人だったと言っていた。

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  ストーブの大きいのがあって、薪もたくさんある。ストーブを炊きたいのだけれど、全然寒くない。レトルトご飯にレトルトカレーを温めて夕食とする。灯りは置いてあった5センチほどのロウソクが燃え尽きると、あとは小さなライトだけ。

夜、外に出ると、空には満天の星が出ていた。天の河が空を横切り、大変な星の数。気分が一挙に変わって、幸せ気分になる。果たして翌日からは快晴になった。ビールもワインも持っていなくて、そういうのもさみしいかと思ったけれど、横になったらあっという間に眠りに入った。布団は暖かいし、ドアには鍵がかかり、快適な眠りだった。
  
 壁にこの山小屋と登山道を整備する加藤利助さんの新聞記事が貼ってあった。
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利助さんは40年以上前からボランティアとして西別岳への登山道の整備や高山植物の保全を行ってきた。高山植物の宝庫である西別岳は盗掘で荒らされ、笹が繁茂しつつあったのだ。14年前には周囲の人が西別岳山頂の東寄りにある787mの山を「リスケ山」と名づけ、環境省に働きかけて標柱を立てた。今や環境省の作るガイドマップにもリスケ岳の山名が記載されている。この記事は2014年の新聞だから、その時利助さんは83歳。今も西別岳に登り続けて活動をしているとあった。私たちも登山道にあった土嚢がとても足にやさしくて歩きやすいと話していた。それも利助さんが整備したものだった。このあと佐伯農場の佐伯さんに聞いたら、利助さんは今もお元気で、昼間は小屋に来ているという。私たちは夕方着いて朝出発したから、残念ながら会えなかったわけだ。
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摩周湖 西別岳 北根室ランチウェイ1

2018/10/09 22:42
北根室ランチウェイは全長71,4キロのトレイルで、中標津から牧場を縫って摩周湖を抜け美留和町に至る。佐伯農場を経営する佐伯雅視さんが8年がかりで整備した道である。昨年歩いたスェーデンのクングスレーデンに続くロングトレイル歩きの第二弾のつもり。
 北海道旅行の初日2日を一緒した友人3人に、レンタカーで女満別空港に到着した一緒に歩く友人を拾ってもらい、摩周湖第一展望台まで送ってもらった。ほとんどの人は中標津方向から歩くようだけれど、歩き始め初日を有効に使うために摩周湖からとした。ということは美留和駅から摩周湖第一展望台までの6,6キロは歩かないことになる。

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  前日に台風が抜けたものの、摩周湖の展望台に立った時はまだ雨が降っていて深い霧、見送ってくれた友人たちも心配そうだし、我々2人も意気が上がらない。

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 でも歩き出すころには、雨が止んだ。

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  カルデラの火口壁上のなだらかな道を歩いていたら、曇り空ながら、摩周湖が見えるてきた。

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 前方は広々として気持ちがいい。摩周湖ばかりでなく、ふもとも見えてきた。

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  紅葉が始まっている。

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  たぶんフジノマンネングサだろう、苔が素晴らしい。

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 ハイゴケの一種かと思われる、毛が長い苔。

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 キノコも出ている。

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  ナナカマドの実は赤く熟している。

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 左手に見えるのが摩周岳。上の方には雲がかかっているけれど、こちらの方に向かって火口が口を開けている。かねてから摩周湖の写真を見るたびに登りたいと思っていた。でもこの日は歩き始めが11時半だから、時間がない。でも摩周岳のそばを通ったから良しとする。

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  コース中の最高峰の西別岳799,8メートルを超えて、リスケ山787mへ。このあとは西別岳山小屋335mまで「がまん坂」なんていう登りだったら大変そうな道をひたすら下ることになる。

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 先の方に、これから歩く根釧台地が見えている。山歩きはこれで終わりだ。西別岳山小屋着16時。この日の行程は11キロ。
10月2日
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「神と仏の明治維新」 古川順弘

2018/10/08 12:03
私は子供の頃、5万分の1地形図の神社の鳥居マークと寺院の卍マークを見ても、似たようなものだと思っていた。神社は日本古来からある神道の施設であり、寺院は外来の仏教の施設であると認識したのは大人になって大分経ってからである。日本を訪れる外国人にしても、神社と寺院が一緒になっている人が多いだろう。実のところ、日本では神仏は集合してきたのだから、両者にそれほどの違いを感じないのも当然かもしれない。神社と寺院をはっきり分けたのは明治維新の神仏分離令による。さらにそのあと吹き荒れた廃仏毀釈によって多くの寺院が破壊されたり、縮小された。日本では仏教が入って来ても、既成の宗教との争いは起こらなかったと言うけれど、明治の初めには仏教は弾圧された。同じく浦上四番崩れと呼ばれる長崎のキリシタンたちへの弾圧では600人が殉死している。
神道分離令と廃仏毀釈について思いが行くようになってみると、あちこちの神社でその名残が目につくようになった。羽黒山の長い石段の両側には寺院跡があるし、将門が建てたという五重塔は神殿ということになっていた。藤原鎌足を祀る談山神社にも十三重塔があって、かつて寺院だったものが神社になったことがわかった。大分県の宇佐神宮には弥勒寺跡があって今は何もない。丹沢の大山阿夫利神社に至る山中にも、岩清水八幡宮の山中にも寺院跡が多数あった。

古川順弘氏の「神と仏の明治維新」は神仏習合から神仏分離令、廃仏毀釈、さらに主要な神社と寺院のたどった歴史がまとめられている。読んでみると、日本は神道と仏教は思っていた以上に共存していたことがわかる。その際、指導権を握って来たのは仏教であり、まして江戸期には幕府の宗教政策を担ったのは仏教である。であれば、天照大神を祖先神とする天皇を主役とする明治国家はここに手を入れる必然性があった。
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「昭和の怪物 七つの謎」 保阪正輝

2018/10/07 19:15
思えばこの3ヶ月ほど本を読んで無い。旅先にいたか、一日中パソコンに向かっていたのだ。でも昨日は駅前の書店に寄って、本を買った。小さな本屋だから選択肢は大してなくて、目に付いたのを、これもご縁と選ぶ。日曜など関係のない身分にしろ、何しろ世の中は休みだから、やるべきことは棚上げにして、今日は久しぶりに寝っ転がって本を読む。まずは保阪正輝氏の「昭和の怪物七つの謎」
私の昭和史の知識は教科書レベルというか、教科書の抜粋版程度だからここに登場するいずれの人物の話にも、そうだったのかと、勉強した気分になる。以後簡単にまとめてみる。

東條英機
戦争不拡大方針の天皇の意向をくんで、内大臣木戸幸一は強硬派の陸軍を抑えられるのはその主導者である東條しかいないだろうと考えて、首相に推した。しかし東條のもとで日本は3年8ヶ月に及ぶ太平洋戦争に突き進む。東條は精神論だけの軍事指導者で、敗色が濃厚になっても聖戦勝利のみを訴え続け、そこには具体的なプログラムは無かった。

石原莞爾
私は石原莞爾を関東軍参謀として満州事変の仕掛け人、その後の15年戦争の引き金を引いた人物というふうに理解していた。それはそうなのだろうけれど、保阪正輝氏は石原莞爾を評価している。石原莞爾は来たるべき「世界最終戦争」の前段階として当時の状況をとらえており、中国を支配する発想ではなく、共に連帯して、イギリスなどの欧米支配と戦うべきとしている。彼は日中戦争にも太平洋戦争にも反対の立場だったから東京裁判の被告にはならなかった。

犬養毅
五一五事件で犠牲になった犬養毅は「憲政の神様」と言われている。海軍の士官2人と士官候補生が土足のまま入って来ると「撃つのはいつでも撃てる。あっちへ行って話を聞こう‥‥ついて来い」と言って家族と意図的に離れ日本間に士官たちを連れて行き「まあ、靴でも脱げや、話を聞こう」と言ったが、別な4人が現れて「問答無用」とピストルを乱射した。この事件をもって、日本の「話の政治」は終わり、自由にものが言えなくなる。犬養毅の章で印象的なのは孫娘の犬養道子さんだった。彼女は11歳の時に事件に遭遇している。さらに彼女の父親の犬養健はゾルゲ事件の尾崎秀実に関係したとして逮捕されている。

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瀬島龍三
実はこの本を買った理由は表紙にある4人の人物のうち、右から2番目の写真に目が行ったせいだ。この写真は瀬島龍三が東京裁判の法廷で証言しているところで、当時35歳。1911年生まれの瀬島の人生は波乱に富んでいる。大本営作戦参謀、11年間のシベリア抑留とこの間の東京裁判におけるソ連側証人としての出廷、伊藤忠商事会長、中曽根康弘内閣の臨調の委員。筆者は「瀬島龍三は史実をどう改竄したか」という章立てをしていて手厳しい。その改竄の体質は現在の森友、加計問題におけるエリート官僚の動きにも通じるとしている。

吉田茂
吉田茂は軍事指導体制に反対し、近衛文麿らと戦争終結をどのようにするか話し合っていた。終戦の年の2月のいわゆる近衛上奏文は吉田茂が書いていたとある。かつて沖縄のテレビ局が「遅すぎた聖断」という番組を作ったものの、本土で上映されなかった。当時は「教え子を戦場に送るな」の時代だったから、私は手に入れて、高校生に見せていた。「もはや敗戦は必至である。それよりも共産革命の可能性があるので早く終戦にもって行くべき」とした上奏に対して、天皇は「梅津がもう少し敵を叩いてからいい条件で終戦に持って行ってはと言っている」として終戦の聖断がなされなかった。その結果、沖縄戦になった。その近衛上奏を作成したのが吉田茂だったとは。
吉田茂は戦後、幣原喜重郎内閣のもとで外相を務め、日本国憲法制定に関わり、発布時の首相だった。マッカーサー草案を見たときには、天皇が存在することが認められていて安堵したという。憲法が発布されたのは11月3日の明治天皇の誕生日である。それは天皇の「日本の民主主義は明治天皇の発せられた五箇条の御誓文に見られる」との発言から吉田がこの日を選んだのだという。自らが関わった 憲法には彼の自負があった。だから憲法改正にはあからさまに不快感をしめしたという。
吉田茂はサンフランシスコ講和条約締結時の首相でもある。この会議で吉田は日本の再出発の決意表明の演説をした。会場は強い拍手に包まれ、翌日、49カ国が講和条約の調印をした。調印から8ヶ月後の1952年4月28日に講和条約が発効し、6年8ヶ月に及ぶ占領が終わり、日本は国際社会に復帰した。その条件の1つは東京裁判を受け入れることだった。
今、首相は「戦後レジームからの脱却」を掲げている。それは吉田茂らが作り上げた敗戦後日本の出発をないがしろにしているとまではこの本で、筆者は書いていないけれど、そんなことを言っていたような。
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ハナちゃん歳取ったかも

2018/09/22 07:07
日本に帰って玄関を開け、ハナと呼んだら大変な声でハナが泣きだした。抱いてあげても治らない。動きもやっとのようで一気に歳とっちゃったみたい。留守中は夜泣きして大変だったという。

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でも夜になると私の顔の左手の定位置にやってきた。そして一言も泣かなかった。

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家を留守にする時はハナのことが一番気にかかる。猫のために出かけるのをやめようかとも思う。翌日になったら、ハナの顔付きが大分良くなった。少なくとも来年までは長く留守にすることは無いと思う。
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ジャポニズム2018 パリ

2018/09/21 14:53
今年から来年にかけて、「ジャポニズム2018」という一連のイベントがパリを中心に行われている。2020年の東京オリンピックに向けて、日本を世界に発信するというイベントだ。歌舞伎、能、狂言、文楽、太鼓、雅楽などの伝統芸能をはじめ、一連の映画上映、現代アート、エッフェル塔の日本人アーティストによるライトアップ、ルーブル美術館のピラミッドには金色のオブジェなど多岐にわたる。私の滞在中にちょうど皇太子殿下がパリにいらして、歌舞伎と伊藤若冲展を鑑賞なさった。この時期、この二つが鑑賞可能だったので、私もこの二つを鑑賞した。歌舞伎は中村獅童と中村七之助。どちらも若手ながら、流石の演技。若冲展はもとは相国寺にあって今は宮内庁三の丸尚蔵館が所蔵する「動植綵絵」と「釈迦三尊像」

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ルーブル美術館ピラミッドの金色のオブジェ。

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伊藤若冲展はプティパレで行われていた。「動植綵絵」は絵のサイズが大きなシリーズで、色彩の美しい細密な描写の絵だから、日本人ばかりでなく海外の人に受けると思われる。この中に有名な鶏の絵と、鳳凰の絵が含まれている。思いの外、沢山のフランス人が見に来ていた。それでも、日本でやる若冲展が大変な人出だったことを思えばはるかに見やすい。

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松竹歌舞伎はシャイヨー国立ダンス劇場に見に行った。客席は満員。和服の日本人の割合は日本の歌舞伎座よりも多い気がした。ただし日本人は1割もいなかった。
「色彩間苅豆 かさね」は後半に怨霊と化したかさね役の七之助の舞に凄みがあった。

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「鳴神」も後半の獅童の荒事に感心した。実は「鳴神」は5月に歌舞伎座で海老蔵が5役演じたのを見ている。その時に比べると、演目の面白さは何分の1じゃないだろうか。獅童はとても健闘していて、それには拍手なのだけれど、容姿がちょっと小ぶり。愛之助の「国姓爺合戦」を見た時もそう思った。やっぱり荒事は海老蔵がすごい。あとは舞台が歌舞伎座ではない、演じる人間が限られている、客席の反応の勝手が違うなど、海外で歌舞伎を上演することの困難さも感じた。それでも歌舞伎の良いところを感じとってもらえたらと願った。
実はこの演目2つは1986年に片岡孝夫(仁左衛門)と坂東玉三郎がパリで演じた衝撃の公演だったという。たしかにその2人の組み合わせは衝撃だったかもしれない。その数日前にオランジェリー美術館のモネの睡蓮の部屋でおっとりと鑑賞なさっている片岡孝夫さんの姿を拝見した。この方には獅童にはない色気があるから、この方が演じたらちょっと違うものじゃなかったろうか。先代の記録映画が上演されるのはまだ先のことだから何のためにと思っていたら、この公演に立ち会うためにパリに来ていたのかもしれない。
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藤田嗣治の残したもの パリ

2018/09/16 12:00
藤田嗣治の家の近くに、彼の家よりちょっと小さな家がある。案内してくれた女性によるとチャーチマンの住まいだったそうだ。

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今はそちらに藤田に関するものが展示されている。

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夫妻の写真。君代夫人は嗣治亡き後、ここに住み続けた。

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夫人のために作ったそろばん。

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夫婦の住んでいた家。

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ミニチュアの家。

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どういうことかわからないこれど、かつらがあった。

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藤田嗣治のアトリエの聖母子像 パリ

2018/09/16 12:00
3階は藤田嗣治のアトリエになっている。

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ここで目を奪われたのは、壁に描かれた聖母子像である。

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愛らしいイエス。

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マリア。

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イエスの壁画。

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キャンバスにかかっていた絵。

藤田嗣治はこのアトリエを自らの教会として、壁画を描いたように思える。「この家の隣、今は藤田にちなんだものを展示している小さな家にはチャーチマンが住んでいました。けれど近くにある彼の教会に藤田の壁画を描いてもらうのは彼の方針ではありませんでした。藤田の壁画のある教会は遠方にあります。」と案内してくれた女性が英語があまり話せないと謙遜しながら説明してくれた。藤田嗣治はフランスで有名ですかと尋ねると、「有名ではありません。夫人は藤田の絵を公開したがらなかったのです。でも数年後にはここに彼の美術館を建てるために私達は動いています」

そんな日が来たら、ここは藤田嗣治の、あの愛らしいイエスに会うための聖地になるかもしれない。

出来たら将来、ランスに行って、藤田嗣治が壁画を描いた教会を見てみたい。
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藤田嗣治の家 パリ

2018/09/16 11:00
2階が道に面していて玄関になっている。

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玄関の横には藤田嗣治が着用していたコートがかかっていた。

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ベッドルーム。

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家の前はゆるい斜面になっていて広々としている。ただし、彼がこの家を所有していた当時の敷地は、家の周りだけだった。

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この日は、フランスの博物館がさまざまな催しをする日で、人々が自由に参加できる日だった。こちらでは4つテントを張って、折り紙、日本の漫画の描き方、ガラス瓶の絵付け、そして茶道の4つの催しをやっていた。ここに来た人達は藤田嗣治の展示を見に来たというより、催しに来た人達のようだった。

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茶道体験を皆さん、じっと見学していらっしゃる。
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藤田嗣治の終の住処 パリ

2018/09/16 10:23
ウイークデーはミュージアムパスと地下鉄を使って、せっせと歩いたけれど、週末はモネの庭と藤田嗣治の終の住処に連れて行ってもらった。

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ジベルニーのモネの家に比べると可愛らしい。藤田嗣治が70歳を過ぎてから、7年間を君代夫人と暮らした家だ。

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道路の方から見ると2階建だけれど庭の方から見ると3階建になっている。

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ここには藤田が手作りした色々なものがある。

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藤田嗣治の作った皿。

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十字架のイエス。彼はカトリックの洗礼を受けている。

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彼はミシンを使ってカーテンやテーブルクロスも作った。

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可愛らしいものもつくっている。

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1階がキッチンとダイニングルーム。

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台所からは夫婦の生活ぶりが伺える。

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1960年代の炊飯器とジューサーもある。

藤田嗣治は生活の色々なものを手作りしている。そうして生活を大切にしている。多分若い頃は大変な日々だったろう。年取ったらから、パリの街中から離れて小さな村で住む気になったのだろう。2回の大戦を生き、5回も結婚し、最後に君代夫人と会った。やっと生活を楽しめるようになったのだろう。

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ミュージアムパスで巡るパリ

2018/09/15 06:58
この6日間せっせとミュージアム巡りをした。パリには見たい美術館が沢山ある。平日は1人だから勢いに任せて歩いたわけだ。それに6日間74ユーロ、1万円弱のミュージアムパスで主要な美術館にほとんど行けるというのも後押しした。これがコペンハーゲンの時は24時間で8000円だった。チボリ公園まで行けばもとが取れたのに叶わなかった。パリではつい一生懸命歩き廻り6日間で14箇所、140ユーロ分回った。こうなるともうゲーム感覚。あと1山残している100名山みたいなものだ。いや、ちょっと違うか。共通しているねのはとにかく歩き回ると、私なりに見えてくるものがあるということ。
パリは街の美しさ、芸術性の高さ、歴史の深さからして世界一じゃないだろうか。比べるとするとロンドンだろう。ロンドンには大英博物館があるけれど、美術館で思い浮かぶのはナショナルギャラリーぐらいだ。ローマは古代ローマ帝国とバチカン、そしてルネサンスの偉大な歴史があるけれど、現代の都市としては重要ではなくなった。アメリカは歴史が浅い。アジア・アフリカ・中南米はほとんどヨーロッパに征服されていたから、その影響下にある。

アメリカ、アジア、アフリカ、中南米を出したから触れておくと、パリの豊かな街並みはどこから来ているのかだ。かつて小田実はヨーロッパの富は世界を侵略してもたらされたと書いていた。そして今パリには多くのアフリカ人がいるけれど、下層の仕事しかやっているように見えない。パリにテロが多いのもその辺りから来ているのじゃないか。今や空港ばかりでなく、そして美術館など公共の施設ばかりでなく、個人の店でさえ持ち物検査をしてから入って行くのだ。パリの人たちは日本人と全く違う。日本人は人を警戒しないし、和をもって尊しとして、微笑みの国だ。それに対してパリの人達は個人の意識がはっきりしているように見える。

これからの世界のパワーバランスは変化して行くだろうから、パリの地位も変わって行くだろう。実際、パリで過ごしていると、古い街の持つ不便さも感じる。

ミュージアムパスで歩く話から違う方向に行った。というか、歩き廻りながら文明について考えたわけだ。

ところでパリのmuseumで写真がダメという所は一つもなかった。とてもいいことだと思う。そして私も沢山写真を撮ったから、ブログに載せるといっても収拾がつかない。
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中世美術館 パリ

2018/09/12 03:28
カルチェラタンのパリ大学近くに中世美術館がある。

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クリュニー修道院のあったところだ。

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15世紀に織られた「貴婦人と一角獣」のタペストリー6枚の展示が白眉だ。

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どんぐりを付けたイングリッシュオークのような樫の木。ウィリアム・モリスはこういう所からヒントを得ているのだろうか。

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小動物も鳥も植物も描かれている。

15世紀にこんな美しいものを作っていたなんて、驚きだ。うっとりしてしまう。

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ロダン美術館

2018/09/12 02:59
庭からは先程行ったアンバリッドのナポレオンの墓のドームが見える。

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庭には上野の国立近代美術館でお馴染みの作品がある。

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「考える人」

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「地獄の門」

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「カレーの市民」

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一番惹かれたのは、この彫刻。

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ロダンの風貌はとても立派。そしてロダンの彫刻は足も手も大きいし、体も力強い。

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ゴッホと浮世絵と言うと出てくる「タンギー爺さん」をロダンが所有していたとは知らなかった。

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パリのアパルトマンの鍵

2018/09/12 01:35
パリのアパルトマンに4日目。シムカードのお陰でグーグルマップを使って自由に出歩けるようになったし、連絡も取れるようになった。10枚組のカルネがあるから地下鉄も慣れた。ミュージアムパスを使って3日で6日分のもとは取ってしまった。成城石井みたいなスーパーのモノプリも、美味しいパン屋さんもそばにある。アパルトマンはエッフェル塔の近くの15区だから、パリの主要部に近い。ただ問題が1つある。私にはアパルトマンの鍵が開かないのだ。

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部屋はパリで言うところの4階。日本では5階に当たる。外から入るときは下の入口で2箇所ドアを開けるのだけれど、黒いセンサーを当ててそれぞれ開ける。それから2人乗ったら一杯になるエレベーターに乗る。ドアは外からは鍵で開ける。鍵穴の周りには小さな穴がいくつも空いている。

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この鍵がわたしには全く開かなかった。と言うことは、私は息子が居ない時は中に入れないことになる。だから今日は彼が出かける昼過ぎは帰って来たし、今夜は会があって夜遅いと言うからもう出ないのである。

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午後からずっと部屋に居るのはこの旅行始まって2週間経つけれど始めてのことであるから、それもいい。さっきボンマルシェで買ってきたワインを昼から飲み、パンにエシェレのバターをつけて食べる。

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コーヒーを入れて、朝行くパン屋で買ってきたマカロンを食べる。

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昨日は中世美術館でノートを買った。これからここに、徒然なることを記そうとしている。

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陽がだいぶ傾いてきた。

さきほど、鍵で開けるのをトライしてみた。

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パリの住人が難なく開けているものを、私が開けられないと言うのもおかしな話ではないか。コツを掴めばあくはずである。ネットを見ると苦労した話がいくつものっているにせよ、私もコツを掴めば使えるようになる筈だ。さっきちょっと進歩した気がするからまたトライしてみよう。








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国立近代美術館 パリ

2018/09/11 02:21
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国立近代美術館はポンピドゥセンターの中に入っている。1977年に出来た当時はパリの街に合わないとして物議をかもした。

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中の出来を理解するのが難しかったけれど、とりあえず6階にたどり着くと、そこは天空の通路になっていて、なにやら足がスースーする。

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モンマルトルの丘とサクレクール寺院が見える。

現代アートの理解できないのが並んでいるかと思っていたら、知っている名前の絵描きがたくさん登場した。一人一人作品を選んでみた。

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ピカソ

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カンジンスキー

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ブラック

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マティス

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ルオー

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ゴンチャロフ

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ミロ






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オランジェリー美術館

2018/09/10 06:37
昨日の夕方、パリに着いた。今日は凱旋門近くでシムカードを作った。2週間10ギガで4000円。パリには10日間居るから、外でもスマホを使えるのは便利だ。シムカードを入れて使えるところまで設定してくれた。そしてオランジェリー美術館に行った。まず6日間のミュージアムパスを買う。6日間74ユーロ。どれだけ行くか分からなくて、お得でないかもしれないけれど、チケットを買うのに並ばなくて済むのがいい。同じミュージアムに何度も入れるのもいい。

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オランジェリー美術館はモネの睡蓮を飾るために出来た美術館のように見える。でもナポレオン3世当時に作られた、オレンジなどの果実を栽培するための巨大な温室(オランジェリー)だったのだ。上から自然光が入るようになっている。

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オーバル型の2つの部屋に4枚ずつ横に長い睡蓮の絵が飾ってある。

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絵はとても長いので写真に撮るのが難しい。

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睡蓮の部屋にいると、幸せな気分になってくる。
9月9日
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レイキャビクの街

2018/09/09 16:34
レイキャビクでは4人で一軒家に滞在した。街の中心に近かったので、各自歩いて散策した。

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壁に絵が描いてあったりする。

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コンサートホール。

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遠目には黒い建物にしか見えなかったけれど、近づくに連れデザインに富んでいるのがわかってくる。

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ビーハイブ蜂の巣がモチーフだった。

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冬は暗い日が続くから読書がさかん。大きな本屋があった。二階にはillyのカフェが併設されている。

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この島には北極キツネがいたのだろうか。白い剥製が飾られていた。
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アイスランド国立博物館

2018/09/09 06:49
アイスランドにはアイヌの人々のような先住の人達は居なくて、ヴァイキングが10世紀に移民したのが最初だ。最初はパガンとあったと思うけれどキリスト教以前の宗教だった。まもなくノルウェー王によりキリスト教に改宗させられた。

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初期の頃のキリストの像。

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十字架のキリスト像。

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宗教改革後はルター派になった。

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昔の家を再現したものがあった。

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そばの写真を見ると、下のほうは土に埋まっているし、屋根にも土を被せているように見える。そうでなかったら寒さに耐えられない気がする。イギリスの北にある島に住んでいた人々も土の中に住んでいた筈だ。

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昔の普通の人がどんな生活をしていたかは、とても興味がある。

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両側に2つずつベッドがある。小さな家だけれど、うまく出来ている。

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ヴァイキングは入植する時に馬や羊などの家畜を連れて来た。そのまま今もアイスランド馬は居る訳で古い形を残して居る。言語も昔のままの言語だそう。

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織り機。

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教会の儀式で使われていたゴブレット。とても精巧な出来だ。

アイスランドに来た人々は干鱈だの漁獲物と羊毛などを盛んに交易をして来た。なかなか活発な人々だったようで、今のアイスランドにもそれが受け継がれている。何しろみんな上手に英語を話すし、接客も慣れて居る。日本の北海道と四国を合わせたぐらいの大きさの島に人口33万人。島はもっと広いように見えるし、人も多いように見える。アートも盛んだし、地熱発電も盛ん、観光業も盛ん。したたかな人々で、離島の鄙びた暮らしぶりではないのだ。さすがあの活発なヴァイキングの後裔。

アイスランドは名前からものすごい北の国のイメージでいた。実際9月1日に到着した日は寒くて暗く雨まじりだった。北の方は北緯66度だから確かに北である。でも昨年行ったスカンジナビア半島のロフォンテン諸島よりは南だ。そして暖流の影響で冬は、もちろんちょっとしか明るい時間が無いにしても、それほどは寒く無いらしい。

アイスランドの人々は、世界の動きにちゃんと連動している。その際に一番関係の深い国は何処かしらと思う。昔はノルウェーの支配を受け、その後デンマークの支配を受けていたから、この二国か。実際、今回の旅の最初に行ったコペンハーゲンは繁栄の歴史を感じさせる街だった。デンマークはのんびりした酪農の国だなんてとんでもない。海で活躍した活発な国だったのだ。
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ハトルグリムスキルキャ教会

2018/09/09 06:12
レイキャビクのランドマークはハトルグリムスキルキャ教会。

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白が基調のすっきりした外観。

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イスラムのドームみたいのがあるのが祭壇部分。

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内部もとてもシンプル。

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巨大なパイプオルガンがある。

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カトリックと違って、ルター派の祭壇はとてもシンプル。


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ブルーラグーン アイスランド

2018/09/08 08:07
アイスランド旅行の最後はブルーラグーンの温泉。
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シリカを顔に塗って、まるでアフリカのヌバ族だったかしらんみたいな顔してる。

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コバルトブルーの巨大な温泉に世界各国から来た人達が一緒に入っているのは面白い。みんな穏やかな顔になっている。好きな飲み物を一杯オーダーできるので、ストロベリースパークリングワインを飲む。
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マーシャルレストラン&バー レイキャビク

2018/09/08 07:31
レイキャビクに行く前から予約していた話題のレストランらしいところに行く。

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旧市街からちょっと離れた新しい感じのするところにあった。

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前菜。一つ一つのプレートが繊細に調理されている。

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ズッキーニをスライスして作ったサラダ。

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ラビオリと帆立貝。一皿ずつ説明してくれるんだけど、ちょっとしか理解出来ない。

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魚のソテーはシンプルな料理の仕方。

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デザート。真ん中にあるのはビーツのシャーベット。



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ハイムクレトゥール山に登る ヘイマエイ島

2018/09/07 18:47
ヘイマエイ島の最高峰、ハイムクレトゥール山283mに登った。9時から朝食ということだから、その前に息子と登ることにした。

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この島の地形は大抵下の100mくらいはクリフになっている。だから最初は階段とハシゴでところどころにロープと鎖がついている。

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ハシゴの横には自己責任で登るよう書いてある。

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最近、急な所は怖くなって来たから緊張して登る。

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クリフ部分が終わって草地に出ると大分緩やかになった。でもやっぱり転ぶと海まで転落しそう。

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頂上前の岩陵。

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頂上からは登ったばかりの太陽が見えた。

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街が見える。一番左手が前日、4人で登った1973年に出来たエルグフェル山だ。

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頂上にはサイン帳があったので、記帳しておいた。

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陽が昇るにつれ、おびただしい鳥が飛び出した。眼下にはパフィンが沢山飛んでいる。風の向きによるのか右から左に行く。パフィンを見ていたら、これからの下りが怖いという緊張感がなくなった。

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この山は半島の先端にあってそそり立つ山だ。

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こんな所にまで羊が居るのが不思議。どうやってあげたんだろう。
下りは思ったほど怖く無かった。斜面に慣れたのもあるし、気の持ちようが変わった。息子が先に立ってくれたのも大きい。
9月6日

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パフィンのヒナを抱く

2018/09/07 18:01
宿のご主人が朝、ダンボール箱をかかえてやって来た。

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パフィンの雛を2羽、昨夜歩いていて保護したから見せに来てくれたのだ。

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箱の中に2羽の雛が入っている。大人のパフィンはオレンジ色の大きな嘴と足、背中が黒でお腹が白。なかなか派手。だから飛んでいると姿が識別できる。でも雛は黒が基調で灰色まじり。

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夏の暑い時期に子育てをしたパフィンたちは9月の初めのこの時期に海に帰る。親鳥は子供は自力で飛び立つようにして、去って行ってしまう。残された雛はうまく海に行けばいいけど、街に来てしまうのも多い。だから島の人たちは昔から、迷ってしまった雛を保護して海に返してあげる。そのあたり村上春樹の文章に詳しい。

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抱いてもいいよと言うので、抱かしてもらう。結構大きいし、力強い。この後、保護センターに連れて行って、体重を計ったりしてから、海に放すらしい。

パフィンの雛を抱いて、ものすごく嬉しかった。あの雛がこれから無事に海に行き、大人になって島に帰るよう、思いをかけた。
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パフィン

2018/09/06 07:20
世界のパフィンの6割はアイスランドに居て、そのうち一番多いのがヴェストマン諸島である。くちばしがオレンジ色の独特な姿のパフィンは夏の間だけ島に居て、9月に海に帰ってしまう。

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ヘイマエイ島の一番南にパフィンを見るスポットがある。

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崖の上に観察小屋が建っている。ここからはパフィンの姿がよく見えた。村上春樹が同じ9月の初めにこの島に来た時は飛び立った後だったと書いてあったから、もう居ないかと思って居たら、沢山飛んでいるのだ。

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他の鳥は風に乗ってゆっくり舞うように飛ぶのにパフィンは羽根を激しく上下して、不器用な飛び方をする。それがまた、姿と一緒になって可愛い。目が慣れて来ると、姿が一層見えるようになった。

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パフィンの動きは速くて、とても写真には取れない。でも土地の人たちは崖に取り付いて捕獲し食べて来たし、今も食べているらしい。

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パフィンの観察小屋あたりの斜面には羊がいた。

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ここの羊は近づいても、座ったまま動かない。食べ物を反芻しているらしく、ずっと口をもぐもぐさせている。9月5日。


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現代のポンペイ エルグフェル山の噴火

2018/09/06 06:41
ヘイマエイ島の港の近くにエルドフェル山(Eldfell)221mがある。1973年に突然噴火してできた山である。

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島の南の方から見ると、一番右に見える赤っぽい山。

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車を置いて頂上まで登る。見晴らしがいい。頂上に湯気が出ている小さな穴がある。手をかざすと暖かい。

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港の方を見ると1973年の溶岩が流れてできた部分が見える。この時の溶岩流で、島の土地は2平方キロ広がったけれど、417軒の家がのみこまれてしまった。

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爆発前の写真を見ると、湾は今よりはるかに広かったことがわかる。この時に溶岩が湾を塞がないように消防が必死に海水を放水したという。

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噴火は数ヶ月続き、その間島民は避難していた。
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ヴェストマン諸島 ヘイマエイ島

2018/09/06 06:12
ヘイマエイ島はヴェストマン諸島の唯一の有人島だ。

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アイスランド本島からフェリーで30分ほど。

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日本の秋晴れを思わせるいい天気。

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右手に崖が続く湾の奥にヘイマエイの街がある。

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この島は13平方キロの島ながら漁獲高が多くて、人口も4千人とか5千人いる。だから港の近くには一応町がある。島のレストランも有名らしい。

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ランチに本日の魚料理とスープを食べる。
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アイスランドの猫

2018/09/05 18:56
4WDツアーは、この日の宿に迎えに来る。

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車を置いて外に出ていたら猫がやって来た。
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抱いても大丈夫。

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アメリカンショートヘアの毛を少し柔らかくして、長くした感じ。村上春樹によるとレイキャビクの猫密度はとても高くて、どの猫も人懐こいらしいから、行くのが楽しみ。

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この日の宿はairbnbにあるみたいな民泊。夕飯は台所を借りてパスタを作る。朝食が付いていて、焼いたばかりの手作りパンがとても美味しかった。

こちらにあったのは電気自動車だった。




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4WDツアー

2018/09/05 06:49
えらく大きな改造4WD車が迎えに来た。

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この日は我々4人と、イスラエル人の夫婦、今サンフランシスコに住んでいるカナダ人夫婦。

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最初に寄ったのは滝。そばに水力発電所がある。アイスランドは電力を売っているとのこと。

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この景色は素晴らしい。ここは普通の車では来られないから、ひとがいない。

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カルデラを上から見る。

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2時間ほどハイキング。水蒸気が出ていて、硫黄の臭いがする。

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シングベリー アイスランドのリフトバレー

2018/09/04 06:01
アイスランドはプレートが湧き出てくる大西洋中央海嶺の上にある島だ。

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シングベリーはまさにユーラシアプレートと、アメリカプレートがそれぞれの方向に行く割れ目だ。

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アイスランドの人々にとってここは特別なところらしく、議会が開かれたとか書いてある。
9月3日
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ガルフォスの滝

2018/09/04 05:44
ガルフォス(Gullfoss)の滝。

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この滝は今まで見たことの無いタイプの滝だった。なんといっても幅が広い。水量が多い。
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