マルハナバチのつぶやき

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zoom RSS 荘川桜

<<   作成日時 : 2014/10/20 00:16   >>

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 白山を下って荒島岳に行く途中に国道156号を、堤高131mのロックフィル式の御母衣ダムを通りすぎ、御母衣湖沿いを走った。
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 荘川桜が2本見えてきた。2本の桜は御母衣ダム建設によって湖底に沈む運命にあった荘川村の寺にあった桜である。当時、ダム建設を進めていた電源開発株式会社の初代総裁だった高碕達之助氏は、村人から愛されていた樹齢400年以上の2本のエドヒガン桜を残すことを決意した。

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 写真はかつて光輪寺にあったころの桜。光輪寺の桜は42トン、照蓮寺の桜は38トンの重量があって、実際の移植作業は大変な事業になった。作業を指揮したのが当時の桜研究の権威笹部新太郎氏であり、そこに駆け付けたのが意気に感じた豊橋の植木職人の丹羽政光氏だった。

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 「桜移植プロジェクト」は昭和35年11月から始められた。距離にして600m、高低差50mを移動させる難工事は40日かけて終わったが、うまく活着したかは、翌年の春を待たねばわからなかった。人々の心配の中で、翌年の昭和36年春に桜の木はわずかながら新芽を出し、ほんの少し花をつけた。その後2本の桜は見事な花をつけるようになり、かつての村の人びとは毎年春にここに集まって往時をしのぶという。御母衣ダムの建設に「死守会」をつくって反対してきた人々の心中を思うと、その光景を想像して胸がつまる。

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 こちらは光輪寺の桜。

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 こちらは照蓮寺の桜。

 荘川桜に感動して、名古屋から荘川沿いの国道156号線に桜を植えたのが、旧国鉄のバス路線「名金線」の車掌をしていた佐藤良二さんだった。彼は日本一長いバス路線を「さくら道」にする夢を描き、沿道に桜の苗を植えることに情熱を注いだ。その後、47歳で病いに倒れた佐藤氏(昭和57年)の志を多くの人がつぎ、今日に至っている。

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