マルハナバチのつぶやき

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zoom RSS 渉成園  智積院  養源院

<<   作成日時 : 2019/02/06 22:54   >>

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京都駅に降り立って智積院を目指し、途中に渉成園に寄った。

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  渉成園は東本願寺の歴代の隠居所で、周囲に枳殻(からたち)の生け垣をめぐらしたことから枳殻邸(きこくてい)ともいう。ただし1864年の蛤御門の変により炎上し現在の建物はそれ以後建てられた。今や周りを建築物に取り囲まれているものの、池泉回遊式の庭園に、風流な建物が点在する。印月池の向こうに建つ漱枕居。

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  北大島に建つ縮遠亭。建物は小ぶりだけれど、繊細なつくり。 

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  一番印象的なのは傍花閣(ほうかかく)。上に4畳半の部屋があるそうで、そこに至る階段が両側にある。

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 階段の入り口。こういうのが両側にある。

  次にかねてから行きたかった智積院に行く。いつも東山方面を目指して京都駅からバスに乗ると三十三間堂を越えて突き当たったところを左に曲がる。その突き当たったところが智積院である。
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 智積院といったら、長谷川等伯の襖絵である。等伯の息子の長谷川久蔵が25歳で描いた「桜図」と、翌年その息子が亡くなって傷心のうちに等伯が描いた「楓図」どちらも迫力がある。

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 等伯の障壁画は今は収蔵庫で見る形になっている。実際の部屋には模写した襖絵がある。とても輝いている。

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  襖絵がいろいろあるうち、後藤順一筆「百雀図」1995年がかわいらしい絵だった。あとは非公開文化財公開ということで、堂本印象のモダンな襖絵を目にすることが出来た。

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  庭にはハートが。

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  最後に「楓図」の御朱印帳を手に入れる。

 夕方まで少し時間があったので智積院のそば、三十三間堂の向かいにある養源院に寄った。
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  俵屋宗達の象の絵がメインのつもりで行き、それも一見の価値があったのだけれど、こちらの歴史が深い。
  養源院はもともと淀君が父の浅井長政の供養のために秀吉に願って創建した。その後火災に会い、今度は淀君の妹で秀忠の妻だった江が再興した。その際、伏見城の遺構の一部を移築した。伏見城は関ヶ原の時には家康の城であったが、鳥居元忠らは石田三成軍に攻められ落城した。この時に最後に自刃した鳥居元忠をはじめとする遺体が放置され血が染みついた床板が養源院の天井に貼ってある。「血天井」である。ボランティアのガイドさんがこのあたり頭とか足とか説明してくださる。はっきりと手とわかるのもある。

1月28日

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
徳川幕府については、薩摩、長州からみると、憎き仇敵なのでしょうが、2017年にいろいろ教えていただいて、長い戦乱をまとめ、260年の平和の時代を維持したことについては、なかなか、家康以外ではなし得なかったのかなと思いました。その背景に、伏見城の鳥居元忠のようなことなど、数限りない出来ごとがあったのだなとわかりました。
ishiguro
2019/02/14 11:42
養源院に深い歴史があることも知らずに、智積院のそばにあったので寄ったのですが、淀君、秀吉、家康、江、そして鳥居元忠まで登場するのにはびっくりしました。
hanabati
2019/02/17 00:19
このブログを読ませていただくだけで、奥の深い歴史も学べる旅行記を拝読させていただけるので、とても楽しみです。
ishiguro
2019/02/17 09:53

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