びわ湖疎水船

三井寺近くの大津閘門から乗船して蹴上まで約8キロのびわ湖疎水を船で行く体験をした。疎水の着工は明治18年。未曾有の大土木工事だった。

画像

大津の街にはまだ市電が走っていた。JRで大津駅を降りて、琵琶湖畔港にある京阪石山本線の三井寺駅の方まで降りの道。

画像

びわ湖の水を二ヶ所から取水する大津閘門。びわ湖疎水の高低差は4メートルで、琵琶湖が高くて京都が低い。

画像

12人乗りの船。疎水の幅は狭いからこの大きさがリミットだろう。

画像

すぐに第1トンネルの入り口。

画像

日本で初めて竪坑方式で作られた2436メートルのトンネル。

画像

途中に疎水を計画した京都府第3代知事の北垣国道の扁額がある。

画像

画像

トンネルは長くて出口が近づくと明るさが目にしみる。

画像

途中にかかる橋に煉瓦造が残る。

画像

第3トンネル、長さ850メートル。各トンネルの入り口には伊藤博文、山県有朋ら明治の元勲の扁額がかかる。

画像

疎水べりにアオサギがいた。

画像

第3トンネルを抜けて旧御所水道ポンプ室前で終了。

画像

建物の設計は赤坂迎賓館や奈良国立博物館などを手掛けた片山東熊。

画像

ここから船はインクラインで運んで、下でもう一度疎水に乗せる。

画像
インクラインのそばには21歳で疎水の設計者として起用された田邊朔郎の像が立つ。

画像

そばには彼が建てた殉職者の碑も立つ。

画像

のちに作られた地下を通る第二疎水の水と合流させて、ここから蹴上発電所に水を流す。

画像

蹴上発電所は日本初の営業用発電所であり、その電力で京都の市電は日本最初のものになった。

画像

画像

この後、びわ湖疎水の流れる南禅寺の水路閣の下を通った。

画像

画像

水路閣の上は今も疎水の水が流れている。

画像

疎水沿いの哲学の道を行き、永観堂の見返り阿弥陀を拝観。

画像

午後は鹿ケ谷から大文字山に登る。霊巌寺のあたりにマムシ出没注意とある。途中、土色のヘビに会い、ワッと声をあげるも、歩き続ける。山頂からの景色、今日はちょっと霞んでいた。

画像

画像

最期の方に天の岩戸がある。

画像

画像

京都に勧請した伊勢神宮のようで内宮があり外宮もある。

画像

階段を登って、

画像

伊勢神宮遥拝所がある。

画像

下りきって再び蹴上に戻った。








この記事へのコメント

ishiguro
2019年05月17日 09:23
何のための疎水かと、思ったのですが、発電と市電ということで、はっと気づかされました。
天頂様を奪われ、倒幕を果たし、京都が名実ともに天下になると信じていた?のに、首都を江戸に奪われた、という、恨みを緩和する為?幾分なりとも近代化、事業に伴い、お金がおちるので、経済効果も、、、、、
よって、もとは、一人前の武士の身分もなかった、明治の元勲たちが、応援した、、、、と言う構図なのかなと、思ったりしました。

南禅寺のあたりは、ちょっと欧風で、インスタ映えのする、スポットだなと感じました。
hanabati
2019年06月07日 14:48
今回の旅のテーマは琵琶湖疎水と蹴上でした。蹴上には3日間行きました。最初に疎水の船を降りてインクラインのあたりを見て、次に大文字山から下り、最後に資料館の見学に行きました。

この記事へのトラックバック