谷中墓地 みかどパン 澤の屋
以前入って愛玉子(オーギョーチイ)という台湾のスイーツを食べた愛玉子を過ぎて、さくら並木を谷中墓地に向かう。右側に谷中五重塔跡のプレートが見える。天王寺五重塔は1644年に建築されたが、明和の大火で焼失した。寛政3年(1791)に棟梁八田清兵衛らの手によって再建された。幸田露伴の『五重塔』はその再建工事を描いている。再建された総檜造りの五重塔は、高さが34メートルもあって関東で一番高い塔だった。天王寺はこの五重塔を明治41年に東京府に寄贈した。
東京の名所、谷中のシンボルとしてと関東大震災、東京空襲にも焼けなかったものが、昭和32年に放火によって焼失した。男女による放火心中事件である。火の手は7月6日午前3時45分ごろに上がり、炎上する姿は、それはそれは美しかったという。
谷中墓地は都営霊園・寛永寺墓地・天王寺墓地をさす。渋沢栄一や横山大観をはじめ著名人の墓が多い。中でも人々が一番訪れるのが最後の将軍・徳川慶喜の墓だろう。他の将軍の墓は仏式であるのに、慶喜の墓だけは神式である。石とコンクリートで固めてあって、近代の天皇の桃山御陵や多摩御陵の墳にならったものだろうか、それにしては規模が小さい。つまり違和感を覚える墓の形式である。最後の将軍として江戸時代が終わってから亡くなったから、こういう墓になったのだろうか。慶喜の墓に行くには、さくら並木から入って何度か曲がるわかりづらいところにある。ここで、墓参りの仕方、卒塔婆は、「地・水・火・風・空」をあらわす五輪塔と同様に4つスリットが入っていいること、火葬、墓の構造、カラスについて講義あり。
谷中ラーメンのウィンドウを見て、日本人とラーメンについて。「slurpして食べてよいのよ」の説明。
今や谷中でもこんな横丁は少なくなった。クリーニング屋の手前の細い道を曲がるのを覚えておかないと二度とここには来れそうもない。
ここで、日本の洗濯物事情と干し方について説明あり。いやあ、ヨーロッパではこんな風に外には干してなかった。それで思い出すのは大分前にベニスのサン・マルコ寺院のすぐそばのホテルで窓の外に洗濯物を干した時のこと。ホテルの女主人も近所の人もすぐに気が付いて気にしていたのが後になってわかった。雨が降り出したらいち早く知らせに来てくれたからだ。その時は旅行中のいつもどおりに子供の下着などを洗って、いつもなら室内の適当なところに干すものを、ちょうどよく窓が開いていたから、風があたるように外に向かって干したのだ。彼女たちは「美観を損ねるからとんでもありません」と言いたかったのだろう。思い出すたびに、おかしいような、恥ずかしいような。
「繪処アランウエスト」は外から覗いて通り過ぎる。アメリカ人のウエストさんは芸大で日本画を学んだ日本画家でこちらがアトリエである。テレビでアランさんの、いずれも大作が紹介されていた。こちらは靴を脱いで上がらせてもらう場所なので、外国人は億劫がるとのこと。
みかどパン店。一挙に昔に舞い戻ったような雰囲気。
このヒマラヤ杉は再開発で伐採の危機に瀕しているという。ネットで調べると「ヒマラヤ杉と寺町谷中の暮らしと文化、町並み風情を守る会」が谷中のシンボルであるヒマラヤ杉のある一帯を残すための運動を行い、署名を集めている。この後、防火用水を見て、延寿寺で神仏習合、蓮華寺で枝ぶりの良い松や蓮を見学、大名時計博物館の前を通り、急な階段を下って澤の屋へ寄る。
澤の屋は家族経営の旅館が成り立たなくなった時に、外国人に開かれた宿泊施設に経営方針を変えて成功した旅館である。
数年前にご主人が書いた「Welcome to Sawanoya」を読んで、こちらの旅館にとても興味を持っていたので、今回よることができて幸いだった。若主人がいらして、われわれを歓迎してくださる。2か所の風呂はいずれも和風で素敵。お部屋も見せていただいた。そして街歩きをしていると不便するトイレを皆でお借りする。
東京の名所、谷中のシンボルとしてと関東大震災、東京空襲にも焼けなかったものが、昭和32年に放火によって焼失した。男女による放火心中事件である。火の手は7月6日午前3時45分ごろに上がり、炎上する姿は、それはそれは美しかったという。
谷中墓地は都営霊園・寛永寺墓地・天王寺墓地をさす。渋沢栄一や横山大観をはじめ著名人の墓が多い。中でも人々が一番訪れるのが最後の将軍・徳川慶喜の墓だろう。他の将軍の墓は仏式であるのに、慶喜の墓だけは神式である。石とコンクリートで固めてあって、近代の天皇の桃山御陵や多摩御陵の墳にならったものだろうか、それにしては規模が小さい。つまり違和感を覚える墓の形式である。最後の将軍として江戸時代が終わってから亡くなったから、こういう墓になったのだろうか。慶喜の墓に行くには、さくら並木から入って何度か曲がるわかりづらいところにある。ここで、墓参りの仕方、卒塔婆は、「地・水・火・風・空」をあらわす五輪塔と同様に4つスリットが入っていいること、火葬、墓の構造、カラスについて講義あり。
谷中ラーメンのウィンドウを見て、日本人とラーメンについて。「slurpして食べてよいのよ」の説明。
今や谷中でもこんな横丁は少なくなった。クリーニング屋の手前の細い道を曲がるのを覚えておかないと二度とここには来れそうもない。
ここで、日本の洗濯物事情と干し方について説明あり。いやあ、ヨーロッパではこんな風に外には干してなかった。それで思い出すのは大分前にベニスのサン・マルコ寺院のすぐそばのホテルで窓の外に洗濯物を干した時のこと。ホテルの女主人も近所の人もすぐに気が付いて気にしていたのが後になってわかった。雨が降り出したらいち早く知らせに来てくれたからだ。その時は旅行中のいつもどおりに子供の下着などを洗って、いつもなら室内の適当なところに干すものを、ちょうどよく窓が開いていたから、風があたるように外に向かって干したのだ。彼女たちは「美観を損ねるからとんでもありません」と言いたかったのだろう。思い出すたびに、おかしいような、恥ずかしいような。
「繪処アランウエスト」は外から覗いて通り過ぎる。アメリカ人のウエストさんは芸大で日本画を学んだ日本画家でこちらがアトリエである。テレビでアランさんの、いずれも大作が紹介されていた。こちらは靴を脱いで上がらせてもらう場所なので、外国人は億劫がるとのこと。
みかどパン店。一挙に昔に舞い戻ったような雰囲気。
このヒマラヤ杉は再開発で伐採の危機に瀕しているという。ネットで調べると「ヒマラヤ杉と寺町谷中の暮らしと文化、町並み風情を守る会」が谷中のシンボルであるヒマラヤ杉のある一帯を残すための運動を行い、署名を集めている。この後、防火用水を見て、延寿寺で神仏習合、蓮華寺で枝ぶりの良い松や蓮を見学、大名時計博物館の前を通り、急な階段を下って澤の屋へ寄る。
澤の屋は家族経営の旅館が成り立たなくなった時に、外国人に開かれた宿泊施設に経営方針を変えて成功した旅館である。
数年前にご主人が書いた「Welcome to Sawanoya」を読んで、こちらの旅館にとても興味を持っていたので、今回よることができて幸いだった。若主人がいらして、われわれを歓迎してくださる。2か所の風呂はいずれも和風で素敵。お部屋も見せていただいた。そして街歩きをしていると不便するトイレを皆でお借りする。




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